こんにちは!
全国各地のご朱印、お城印集めが趣味の神宮寺城一郎です!
御城印帳づくりに携わる者として、登城の楽しみやお城の魅力を少しでも深くお届けできればと思っています。
今回足を運んだのは、愛媛県 宇和島市にある「宇和島城」です。
慶長6年(1601年)頃、藤堂高虎によって築かれました。現在の天守は江戸時代に建てられた現存12天守の一つで、国の重要文化財に指定されています。
この記事では、宇和島城の御城印や頂き方・見どころを中心に、実際に歩いて感じた魅力や印象を交えながらご紹介していきます。どうぞ最後まで、ゆっくりとお楽しみください。
「竹に雀」紋が印象的な【宇和島城の御城印】のいただき方
宇和島城の御城印は、登城した記念として天守のみで販売されています。電話やメール、書簡などでの購入申し込みは受け付けていないそうなので、実際に登城して天守まで行き、受付で購入する流れになります。
私が訪れた際も、天守の入城受付の向かいに御城印が並べられていました。御城印は1枚300円。天守見学とあわせて、登城の記念にいただくにはちょうどよい場所にあります。

宇和島城の御城印で印象的なのは、宇和島伊達家ゆかりの「竹に雀」紋があしらわれていることです。宇和島城は、仙台藩祖・伊達政宗の長男である伊達秀宗を初代とする宇和島伊達家の居城。そうした歴史を思うと、御城印に入る家紋からも、伊達家の城であることがしっかりと伝わってきます。
中央には「宇和島城」の文字が入り、端正な雰囲気の一枚になっています。
宇和島城は、愛媛県宇和島市にある名城です。標高約80メートルの城山に築かれた平山城で、江戸時代には伊達家の居城として宇和島藩の中心を担ってきました。現存十二天守のひとつに数えられる天守は、三重三階の端正な姿が美しく、石垣や登城道にも当時の面影が色濃く残されています。そんな宇和島城を訪れるにあたり、ぜひお供にしたいのが、こちらの御城印帳です。
宇和島城に持参したい御城印帳
家紋柄御城印帳
宇和島城は、築城の名手として知られる藤堂高虎が関わった城であり、その後は伊達家の城として長く受け継がれてきました。海に面した宇和島の地に築かれ、藩政の中心として歴史を重ねてきた宇和島城の御城印を収めるなら、武家の歴史を感じさせる家紋柄の御城印帳がよく似合います。
この家紋柄御城印帳は、表紙いっぱいに多彩な家紋を配した重厚感のあるデザインが魅力です。明智光秀や真田幸村、織田信長など、戦国武将にゆかりのある家紋が並ぶ様子は、日本の城の歴史を一冊に凝縮したかのような趣があります。宇和島城の御城印はもちろん、これから巡る各地の城の記録を収めていくのにもぴったりの一冊です。

さらに、透明ポケットに差し込んで保管できる仕様のため、御城印を折らず、傷つけずにきれいな状態で残せるのも嬉しいポイント。裏面には奉書紙が使われており、スタンプや登城日、旅のメモを書き込むこともできるなど、実用性にも優れています。
現存天守を目指して城山を登り、宇和島の歴史に触れながらいただく御城印。その一枚を家紋柄の御城印帳に収めれば、登城の記憶がより印象深く残るはずです。
宇和島城を訪ねるお供として、そしてこれから続く城巡りの相棒としてもおすすめできる御城印帳です。気になる方は、ぜひチェックしてみてください。
それでは、宇和島城の魅力を一緒に巡っていきましょう!どうぞ最後までごゆっくりお楽しみください!
宇和島城のアクセスと基本情報
【宇和島城の所在地】
〒798-0060 愛媛県宇和島市丸之内3
0895-22-2832(宇和島城天守)
【宇和島城の入城料金】
大人200円(20人以上160円)、高校生以下無料、65歳以上160円 ※年齢が確認できる身分証明書を提示、障がい者無料 ※障がい者手帳等を提示
【宇和島城の営業時間】
●開門 11月~2月:6時~17時、3月~10月:6時~18時30分
●天守 11月~2月:9時~16時、3月~10月:9時~17時
【宇和島城へのアクセス】
●JR
松山駅から宇和島駅まで特急利用で約1時間20分、宇和島駅から登城口まで約1キロ
●車
松山ICから宇和島朝日ICまで約1時間30分、ICから城山下駐車場まで約1キロ
登城口である城山下駐車場から天守までは、約800メートルの登り坂を歩いて向かいます。天守へ続く石段や登城道にはスロープなどのバリアフリー設備はなく、国の重要文化財に指定されている天守内部も同様に、段差や階段を上って見学する造りになっています。
【宇和島城の駐車場】
●市営城山下駐車場(宇和島城城山登山口前)
24時間営業 駐車料金100円/1時間 普通車46台駐車可能
●市営中央町駐車場(南予文化会館1階)
24時間営業 駐車料金100円/1時間 普通車100台駐車可能
宇和島城について
宇和島城は、愛媛県宇和島市の中心部に位置する歴史ある城郭で、伊達家ゆかりの名城として知られています。築城は慶長元年(1596年)頃に始まり、慶長6年(1601年)に完成したと考えられています。手がけたのは、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した築城の名手・藤堂高虎。その後、宇和島藩主となった伊達家の居城となり、明治維新まで地域の政治や文化の中心として大きな役割を果たしました。
宇和島城の大きな特徴は、標高約74メートルの丘陵を生かして築かれた平山城であることです。現在の天守は1666年に再建されたものとされ、全国に12しか残っていない「現存十二天守」のひとつとして、大変貴重な存在となっています。三層三階の天守は比較的コンパクトながら、端正で美しい外観と実用性を備えた構造が魅力です。
城内には、石垣や門跡などの歴史的遺構が今も残り、かつての城郭の姿をしのぶことができます。天守最上階からは宇和島市街地や宇和海を一望でき、四季折々の自然景観を楽しめるのも見どころです。春には桜の名所としても親しまれ、多くの観光客が訪れています。歴史的価値と優れた眺望をあわせ持つ宇和島城は、愛媛県を代表する観光名所のひとつです。
ここから「宇和島城」の登城リポートがスタート!
築城の名手・藤堂高虎が築いた名城【宇和島城の見どころ】
今回は、現存12天守のひとつ愛媛県宇和島市の宇和島城に行く。松山駅まで電車で行き、そこから電車を乗り換えさらに1時間半で宇和島駅に到着。

訪れた時期が七夕の季節ということもあり、駅の構内にはたくさんの願い事が書かれた短冊が吊るされた笹の木が飾られていた。


短冊の中には「見たらおどろく宇和島城」とか「宇和島の 鯛飯おいしい 最高だ」などと書かれたものもあり、これから宇和島城へ足を運ぶ私の気持ちを盛り上げてくれた。




到着時にはちょうど昼時で「どこかで腹ごしらえをしなければ…」と思っていたところ。となればやはり、宇和島のご当地グルメである「鯛めし」を食べに行かずばなるまい。どこか良いお店がないかスマホで検索する。

駅前の商店街の横にあった「和日輔(わびすけ)」という店に入り、本場の味に舌鼓を打つ。


自分でご飯をよそって、鯛の刺身や出汁・薬味をのせて食べる。とても美味しかった!詳しくは、最後に紹介する。
【登城口から石段の坂道】緑に包まれた登城道を歩いて天守へ
腹ごしらえを終えたところで、いよいよ宇和島城へ向かう。
食事をした店から歩いて10分ほどで、宇和島城の登城口に到着した。宇和島城には主に2つの登城ルートがあり、北側から登る「桑折氏武家長屋門ルート」と、南側から登る「上り立ち門ルート」がある。どちらの登城口からも天守までは徒歩で約15〜20分。距離にして約800メートルほどの登り坂や石段を進んでいくことになる。
今回私が選んだのは、北側から登るルート。登城口周辺はちょうど改修工事中で、仮囲いが設置されていた。

その仮囲いには、宇和島城の説明書きが掲示されている。
そこには、江戸時代には全国に170ほどの天守があったとされるものの、現在まで残る現存天守はわずか12しかないという内容が紹介されていた。いわゆる「現存十二天守」である。
振り返ってみると、これまで私が訪れた現存天守は、備中松山城(岡山)、丸亀城(香川)、高知城(高知)、松山城(愛媛)、松江城(島根)、姫路城(兵庫)、丸岡城(福井)の7城。今回の宇和島城で、現存天守は8城目となる。そう思うと、登る前から少し気持ちが高まってくる。

登城道の入口には、竹の杖が用意されていた。これを見た瞬間、「ひょっとして、想像以上にきつい道なのだろうか…」と少し不安がよぎる。ただ、案内を見ると天守までは670メートルとある。今回は杖を借りずに、そのまま歩いて登ることにした。

とはいえ、足腰に不安がある方や、坂道・石段が心配な方は、無理をせず杖を借りておくのがおすすめである。宇和島城の登城道は、気軽な散策というより、しっかりと「城山を登る」感覚に近い。

最初は舗装されたゆるやかな登り道が続く。周囲には木々が生い茂り、街中から少し入っただけとは思えないほど緑が深い。

木陰に包まれた道を歩いていると、暑さの中にもふっと風が抜け、気持ちがいい。
天守までの道のりはまだ始まったばかりだが、石垣や城郭を目指して少しずつ高度を上げていくこの感じが、登城の楽しさでもある。

【長門丸(ながとまる)石垣】寛文大改修の姿を伝える力強い石垣
登城道を進んでいくと、「長門丸石垣」が見えてきた。
緑の中にどっしりと構える石垣は、いかにも城らしい無骨さがあり、思わず足を止めて眺めたくなる。宇和島市の解説によると、この長門丸石垣は、伊達家2代藩主・宗利による寛文4年(1664年)から寛文11年(1671年)にかけての宇和島城大改修の際に築かれたものと考えられている。17世紀後半頃の石垣で、いわば「寛文大改修」を代表する石垣である。
長門丸石垣は、延長約110メートル、高さ7〜8メートル。石材には、宇和島でよく採れる砂岩が使われているそうだ。登城道沿いにこれだけの石垣が続くと、天守へ向かっている実感が一気に高まってくる。

無骨な積み方の石垣もいい。私は石垣の特に角の鋭角部分が好きだ。この細工に美しさを感じる。上に行くほど反っているのも美しい。
宇和島市の解説では、この角の部分を「隅角部」、その間の部分を「築石部」と呼ぶそうだ。長門丸石垣の隅角部には、鑿できれいに整えられた長方形の石材を、向きを変えながら交互に積み上げる「算木積み」の技法が見られる。
この角の鋭角なラインが実に美しい。ごつごつとした石の質感を残しながら、角だけはきっちりと整えられており、職人の技が凝縮されているように感じる。上へ行くほどわずかに反りを帯びて見える姿もまた見事で、ただ積んでいるだけではない、城郭石垣ならではの機能美がある。

石材をよく見ると、鑿で打った跡や、大きな石を割る際にできた矢穴の跡も見られる。さらに登城道沿いの隅角部付近には、海食や穿孔貝による穴が残る石材も点在しているそうで、宇和島という海に近い城ならではの石の表情も感じられる。
天守だけを目指して歩くと通り過ぎてしまいそうだが、長門丸石垣は、宇和島城の歴史と築城技術をじっくり味わえる見どころである。無骨でありながら、角の造形には繊細さがある。

【長門丸跡】城内最大の郭に残る宇和島城の広がり
長門丸石垣を眺めながら登城道を進むと、その上部に「長門丸跡」が広がっている。

長門丸は、宇和島城の城内で最大の郭とされる場所。宇和島城は、標高73メートルほどの丘陵を利用して築かれた平山城で、本丸・二之丸を中心に、周囲へいくつもの郭を配置していた。その中で、長門丸は藤兵衛丸とともに城山の中腹に設けられた大きな区画にあたる。宇和島市の整備基本計画でも、藤兵衛丸跡と長門丸跡はひとつの地区として扱われ、城山を構成する重要な郭として位置づけられている。

現在の長門丸跡は、広場のように開けた空間になっており、一部は児童公園として整備されている。城跡を歩いていて、急に遊具のある場所に出ると少し意外にも感じるが、地域の子どもたちや遠足で訪れる小学生たちの休憩スポットにもなっているそうだ。かつての城郭の一部が、今は市民に親しまれる憩いの場になっているところに、宇和島城が城山として大切に受け継がれてきたことを感じる。

また、長門丸跡の入口には、「宇和島城」と書かれた石碑も立っている。

【藤兵衛丸(とうべえまる)石垣】藤堂高虎創建期の面影を残す高石垣
長門丸跡で少し休憩し、トイレを借りてから、再び石段を上がり始める。案内板には、天守まで340メートルとある。ここからもうひと登りだ。

長門丸からさらに上へ進む途中で見えてくるのが、藤兵衛丸の石垣である。宇和島市の解説によると、藤兵衛丸周辺の石垣は、江戸時代に修理を受けながらも、藤堂高虎が宇和島城を築いた慶長6年(1601年)頃の古い特徴をよく残しているという。石材には、宇和島でよく採れる砂岩が使われており、高さは場所によって9〜13メートルほど。城内でも有数の迫力を持つ石垣である。
積み方はいわゆる「野面積」。加工をあまり加えない自然石を積み上げたもので、荒々しくも力強い表情がある。特に印象的なのは、藤堂高虎が手がけた石垣の特徴とされる、反りを持たない直線的な勾配である。上へ向かってすっと立ち上がる姿は素朴でありながら堂々としており、築城当時としては国内屈指の高さだったともいわれているそうだ。
宇和島市の解説では、藤兵衛丸には城内最古と考えられる石垣もあり、規格性に乏しい自然石材や多くの間詰石、さらに古い算木積みの技法である「痩せ角」の特徴も見られるという。慶長期よりさらに古い文禄年間にさかのぼる可能性もあるとされ、宇和島城の石垣の中でも見逃せない場所である。

石段を上がったところに、仮設の階段が見えた。「ここを上がるのか?」と少しワクワクしたが、残念ながら進入禁止の看板があり、封鎖されていた。


少し拍子抜けしつつも、左手に天守へ続く道がある。

案内を見ると、天守までは220メートル。だいぶ近づいてきた。

緑の中を抜けながら少し下っていくと、石垣の上に天守が見えた。これは美しい。木々の間から白い天守が姿を現す瞬間は、登城の疲れを忘れさせてくれる。

正面に石垣を見ながら石段を上がり、今度はその石垣を左手に見ながら進んでいく。正面の石垣の向こうが本丸で、ここから道なりに左へ進むと二之丸へとつながっていく。

進んでいくと、さらに見事な石垣が目に入ってくる。このあたりは、かつて三の門が建っていた場所とされる。


宇和島城のお供におすすめ!家紋柄御城印帳
宇和島伊達家の居城として受け継がれてきた宇和島城の歴史と風格に調和する、武将家紋をあしらった御城印帳。重厚感のあるデザインが現存天守を訪ねる城めぐりの気分を高め、御城印を美しく保管しながら、登城の記憶をしっかり残してくれる一冊です。
【二の丸跡】石垣越しに天守を望む、登城途中の見どころ
藤兵衛丸石垣を眺めながら道なりに進むと、二の丸跡へ出る。
ここまで来ると、天守はもうすぐそこだ。二の丸跡から見上げる石垣と、その上に建つ天守の姿がとても美しい。城山の緑を背景に、石垣の力強さと白い天守の端正な姿が重なり、宇和島城らしい景観を楽しむことができる。

二の丸は、本丸の一段下に設けられた重要な郭である。天守へ向かう途中に位置し、本丸を守る役割を担っていた場所だと思うと、ただの通過点ではなく、城の構造を感じられるポイントでもある。

石段をもう一段上がれば、いよいよ本丸跡に到着する。ここまで登ってきた疲れもあるが、目の前に天守が見えてくると足取りは自然と軽くなる。こうして少しずつ天守に近づいていく感覚が、城歩きの醍醐味だ。

【本丸石垣】時代ごとの積み方の違いが見える石垣
二の丸跡からさらに石段を上がると、いよいよ本丸へと近づいていく。
目の前に現れる本丸石垣は、宇和島城の中でもじっくり眺めたい見どころのひとつである。延長は約193メートル、高さは約4.6〜10メートル。石材には、宇和島でよく採れる砂岩が使われているそうだ。
本丸石垣でおもしろいのは、同じ面の中に異なる時代の積み方が残っているところ。宇和島市の解説によると、右下半分には自然石を使った「野面積み」が見られ、17世紀初頭頃に築かれたものと考えられている。一方、左上半分は幕末頃に修理された部分とされ、隅角部には鑿で整えた石材を使う「切込ハギ」、築石部には玄翁で加工した石材を使う「打込ハギ」が見られるという。
つまり、本丸石垣には、宇和島城が築かれた初期の姿と、幕末に修理された姿が同じ場所に重なって残っていることになる。何気なく見るとひと続きの石垣だが、石の形や積み方に注目すると、時代ごとの技術や修理の跡が見えてくるのが面白い。

また、本丸石垣には櫛形門跡も残されている。こちらの石垣は、長門丸石垣と同じように角が算木積みで築かれており、整形された石材と間詰石を用いて組み上げられている。伊達家2代藩主・宗利による17世紀後半頃の大改修の際に築かれたものと考えられているそうだ。
石垣の角を見れば、長方形の石を交互に積む算木積みの美しさが分かる。以前から石垣は角の部分に目がいってしまうのだが、本丸石垣もやはり見応えがある。荒々しい自然石の積み方、きっちり整えられた修理部分、そして門跡に残る石垣。それぞれに表情が違い、宇和島城が長い年月の中で修理され、守られてきたことが伝わってくる。

【本丸跡】現存天守と宇和海を望む、宇和島城の中心部
本丸石垣を眺めながらさらに上へ進むと、いよいよ本丸跡に到着する。
ここまで石段や坂道を登ってきたこともあり、本丸跡に出た瞬間は少し達成感がある。目の前には、宇和島城の象徴である現存天守。これまで木々の間からちらりと見えていた天守を、ようやく間近に見ることができる。
宇和島城は、標高約74メートルの城山を利用して築かれた平山城である。本丸跡まで登ってくると、その立地の意味がよく分かる。周囲を見渡せる高さにありながら、麓の町とも近い。山城のような険しさと、城下町を治める拠点としての機能をあわせ持つ、宇和島城らしい場所である。

本丸跡から西側を望むと、宇和島市街の向こうに宇和海が見える。さらにその先には豊後水道へと続いている。宇和島城が海に近い城であり、城下町や港と深く結びついてきたことが、この眺めからも伝わってくる。

【天守】小ぶりながら気品を感じる現存十二天守
本丸跡に立つ宇和島城天守は、思っていたよりも小ぶりな印象だ。
現在の天守は、宇和島伊達家2代藩主・宗利によって、寛文6年(1666年)頃に再建されたものとされている。三重三階の層塔型天守で、白壁が美しく、端正で上品な姿をしている。

1階部分には唐破風の玄関が設けられ、その上の階には比翼千鳥破風、さらに上には千鳥破風、最上部には軒唐破風が配されている。小ぶりながらも装飾性に富んだ天守で、近くで見るほどに細やかな意匠が目に入ってくる。
窓は全体的に武者窓となっており、城郭建築らしい堅牢さも感じられる。ただ、高知城のような勇ましさや威圧感というよりは、どこか穏やかで気品のある佇まいだ。大きさでいえば、松江城や丸岡城の天守に近い印象もあるが、宇和島城にはまた違った優美さがある。

宇和島城は、宇和島伊達家が歴代城主を務めた城として知られている。その初代城主は、仙台藩祖・伊達政宗の長男である伊達秀宗だ。幼い頃の秀宗は豊臣秀吉のもとへ人質として差し出され、秀吉没後、政宗が徳川方についたことで関ヶ原合戦直前には一時監禁されるなど、波乱の前半生を送った人物でもある。
やがて徳川の時代になると、秀宗は宇和の地を与えられ、ここに「西国の伊達」ともいえる宇和島伊達家が始まる。以降、宇和島伊達家は明治に至るまで9代にわたり、この地を治めていくことになる。

【天守内部】現存天守ならではの急階段と、宇和島の町を見渡す眺め
宇和島城天守の入城料は200円。受付の向かいでは、御城印も販売されていた。御城印は1枚300円である。


天守の中へ入ると、1階には伊達政宗、伊達秀宗、豊臣秀吉の甲冑レプリカが展示されていた。さらに、宇和島伊達家7代藩主・宗紀(むねただ)と、8代藩主・宗城(むねなり)の肖像画も飾られている。宇和島城が伊達家の城であることを、あらためて感じさせてくれる展示である。


地元の中学3年生と小学6年生による研究発表も掲示されていた。こういう展示があると、城がただ観光地として残されているだけでなく、地域の子どもたちにも学びの場として受け継がれていることが伝わってくる。
中学生の研究発表の中には、「平和な時代に築かれた宇和島城」という内容があった。宇和島城を最初に築いたのは、築城の名手として知られる藤堂高虎である。その後、宇和島伊達家2代藩主・宗利によって、現在の天守が寛文6年(1666年)頃に新造された。
この天守には、戦のための狭間や石落としがないという。たしかに、最初に天守を正面から見た時にも、勇猛さや威圧感というより、どこか穏やかで上品な印象を受けた。その理由は、こうした造りにも表れているのかもしれない。

2階へ上がる階段は、かなり急である。これは現存天守ならではの特徴だ。頭上や足元に気をつけながら、一段ずつ慎重に上がっていく。この少し緊張感のある階段も、現存天守を見学する醍醐味のひとつである。

2階には、アーティストによって描かれた伊達政宗と伊達秀宗の勇ましい姿の屏風絵が飾られていた。


さらに3階へ上がると、宇和島の街並みを描いた屏風が展示されていた。天守内部の展示を見ながら階を上がるにつれ、宇和島城と城下町の関係が少しずつ見えてくるようで面白い。

写真には撮っていないが、窓から見た景色も印象に残った。周囲に見える山が、天守と同じくらいの目線の高さにあり、宇和島城が思っていた以上に高い場所に築かれていることを実感する。
そして、やはり見事だったのは海側の眺めである。天守最上階からは宇和島港を一望できる。市街地の向こうに広がる海を眺めていると、宇和島城が城下町だけでなく、港や海とも深く結びついてきた城であることがよく分かる。
宇和島駅で見た短冊を思い出す。「見たらおどろく宇和島城」。その言葉通り、石垣の向こうに見える天守が美しく、その魅力に驚かされた宇和島城だった。
登城ついでに味わいたい!宇和島名物「鯛めし」
【旬膳・郷土膳 和日輔(わびすけ)】宇和島名物「鯛めし」を味わえる店
記事の締めとして、リポートの冒頭でも少し触れた、宇和島のご当地グルメ「鯛めし」を味わった店「旬膳・郷土膳 和日輔」についても紹介しておきたい。
「旬膳・郷土膳 和日輔」は、JR宇和島駅から少し歩いた場所にある郷土料理店である。駅前商店街の路地に入ったところにあり、宇和島城へ向かう前の腹ごしらえにも立ち寄りやすい。


店内で席に案内され、メニューを見る。宇和島といえば、やはり鯛めし。和日輔は宇和島鯛めし協同組合の組合員でもあり、地元の食材を生かした郷土料理を提供している店なのだそう。

豊富なメニューの中でも特に気になった「みかん鯛の宇和島鯛めし」を注文した。和日輔の宇和島鯛めしは、生卵を溶いたタレに鯛の刺身や薬味を合わせ、あたたかいご飯にかけて味わうのが特徴らしい。

ちなみに、愛媛の鯛めしには大きく分けて、松山方面で親しまれる鯛めしと、宇和島鯛めしがある。松山の鯛めしは、鯛を米と一緒に炊き込むタイプ。一方、宇和島鯛めしは、生の鯛の切り身を卵入りのタレに絡め、あたたかいご飯にかけて食べるタイプである。名前は同じ「鯛めし」でも、見た目も食べ方もかなり違う。





しばらく待つと、お盆にのった鯛めしが運ばれてきた。正直、最初は少し驚いた。私はてっきり、最初から丼の状態で出てくるものだと思っていたのだ。

宇和島鯛めしは自分で仕上げるのが楽しい。席には説明書きも用意されていた。まず、生卵の入った出汁に薬味を入れて混ぜる。その中に鯛の切り身を入れ、出汁をまとわせる。

ごはんはお櫃に入っていて、見たところ二杯分ほどありそうだったので、まずは切り身を半分だけ入れることにした。
お椀にごはんをよそい、その上に出汁につけた鯛の切り身をのせ、さらに出汁をかける。これは、どう見てもおいしそうである。
ひと口食べると、鯛の旨みと出汁、生卵のまろやかさがごはんに絡んで、思わず箸が進む。そして驚いたのが、ふわっと広がるみかんの香りである。名前に「みかん鯛」とあるので分かってはいたが、実際に口に入れると、想像以上に柑橘の香りが感じられた。これはうまい。
鯛の切り身はほどよく締まっていて、しっかり歯ごたえがある。それでいて硬いわけではなく、噛むほどに旨みが出てくる。出汁の味も濃すぎず、鯛のおいしさを引き立てている。一杯目をあっという間に食べ終え、二杯目のごはんをよそい、残りの切り身と出汁をすべてかける。最後まで飽きることなく、一気に食べてしまった。すまし汁もおいしく、満足感のある昼食だった。

宇和島駅で見かけた短冊に、「宇和島の鯛飯おいしい 最高だ」と書かれていたのを思い出した。まさにその通りである。
みかん鯛の宇和島鯛めしは税込1,595円。宇和島城に登る前の腹ごしらえにも、登城後の締めにもぴったりだ。宇和島を訪れたなら、現存天守とあわせて、ぜひ本場の宇和島鯛めしも味わっていただきたい。おすすめです!
《旬膳・郷土膳 和日輔の基本情報》
【旬膳・郷土膳 和日輔の所在地】
愛媛県宇和島市恵美須町1-2-6
【旬膳・郷土膳 和日輔の電話番号】
0895-24-0028
【旬膳・郷土膳 和日輔の営業情報】
●営業時間
月・火・木・日 11:30〜15:00(L.O. 料理14:00)、17:00〜21:30(L.O. 料理20:30 ドリンク21:00)
金・土・祝前日 11:30〜15:00(L.O. 料理14:00)、17:00〜22:00(L.O. 料理21:00 ドリンク21:30)
●定休日 水曜日
●座席数 80席
●駐車場 あり
●HP http://www.sk-wabisuke.com
西国の伊達と現存天守の記憶を収める一冊【宇和島城にぴったりの御城印帳】
今回の宇和島城リポートはいかがだったでしょうか。緑に包まれた登城道にはじまり、長門丸や藤兵衛丸に残る力強い石垣、本丸跡から望む宇和海、そして現存十二天守のひとつに数えられる白く端正な天守まで、宇和島城ならではの魅力をじっくり味わう時間となりました。
そんな宇和島城めぐりの相棒として、改めておすすめしたいのが「家紋柄御城印帳」です。
宇和島城は、築城の名手・藤堂高虎によって築かれ、その後、仙台藩祖・伊達政宗の長男である伊達秀宗を初代とする宇和島伊達家の居城となりました。以降、明治に至るまで宇和島伊達家9代の居城として受け継がれた、西国の伊達家ゆかりの名城です。御城印にも伊達家を象徴する「竹に雀」紋があしらわれており、その一枚を収める御城印帳として、家紋柄のデザインはとてもよく似合います。

表紙いっぱいに家紋を散りばめたデザインは、派手すぎず、それでいて武家らしい重厚感があります。明智光秀や真田幸村、織田信長など、戦国武将にゆかりのある家紋が並ぶ様子は、日本の城の歴史を一冊に凝縮したかのよう。宇和島城の石垣や天守を歩きながら感じた武家の気配を、そのまま旅の記録として残していくには、相性のよい御城印帳といえるでしょう。
機能面でも、透明ポケットに差し込む仕様のため、御城印を折らず、傷つけずに保管できるのが大きな魅力です。裏面には奉書紙が使われており、日本100名城スタンプや登城日、旅のメモを書き込むこともできます。
宇和島城の御城印をこの御城印帳に収めれば、城山を登って天守へ向かった時間や、最上階から眺めた宇和島の町と海の景色が、より鮮明に残るはずです。城を歩き、伊達家の歴史に触れ、その余韻を一枚に託す。そんな城めぐりの楽しみを支えてくれる一冊として、ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
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