こんにちは!
全国各地のご朱印、お城印集めが趣味の神宮寺城一郎です!
御朱印帳づくりに携わる者として、もっと御朱印集めが楽しくなるように、訪れた寺社仏閣の魅力や、私たちが手がける御朱印帳のこともお届けしています。
今回訪れたのは、東京都港区にある「泉岳寺」です。曹洞宗の名刹であり、浅野家・赤穂義士の墓所として、忠臣蔵の聖地となったお寺です。
前回の記事では泉岳寺の主だった紹介と写経・納経体験を中心に紹介いたしました。今回は「忠臣蔵の聖地」であることにスポットをあてて、泉岳寺を実際に参拝して感じた見どころや参拝のポイント、そして義士墓所御朱印についても交えながらご紹介していきます。
どうぞ最後までお付き合いください。
赤穂義士たちの討ち入りを描いた『仮名手本忠臣蔵』には、「花は桜木、人は武士」という名台詞があります。もとは一休宗純の言葉で、「花の中では桜がもっとも優れている。人の中では潔い武士こそ優れている」という意味。桜の散り際の美しさを、武士の潔さと重ねています。「武士の忠義」を体現して散っていった赤穂義士たちに思いを馳せることができる一冊を選びました。
泉岳寺の参拝に持参したい御朱印帳
【八重桜柄の御朱印帳】
今回ご紹介するのは、「八重桜柄の御朱印帳」。落ち着いた色合いの地に、幾重にも重なる花びらを広げた八重桜がやさしく描かれた一冊です。ふんわりと重なり合う桜の意匠は、日本らしい美しさと気品を感じさせ、春の訪れを思わせるような穏やかな雰囲気をまとっています。桜は古くから「門出」「再生」「祈り」を象徴する花とも言われ、静かな祈りの場にそっと寄り添うモチーフでもあります。

表紙には上質なちりめん生地が使用され、繊細な色彩と柔らかな風合いが魅力。透明カバー付きで汚れや傷から守ってくれるため、持ち歩きにも安心です。御朱印がゆったり収まる大判サイズで、ページも開きやすく、参拝のたびに丁寧に記録を重ねていくことができます。国内で一冊ずつ丁寧に製本されている点も安心できるポイントです。
赤穂浪士ゆかりの寺として知られ、多くの人が静かに手を合わせに訪れる泉岳寺。その落ち着いた境内の空気と、やわらかな桜の意匠はどこか不思議と調和します。祈りの時間を重ね、その記憶を一ページずつ刻んでいく…そんな参拝の思い出をやさしく包み込んでくれる御朱印帳です。
この「八重桜柄の御朱印帳」は、Amazonや楽天市場でも購入できます。泉岳寺参拝のお供に、ぜひ手に取ってみてください。
それでは、泉岳寺の魅力を一緒に巡っていきましょう!
どうぞ最後までごゆっくりお楽しみください。
泉岳寺へのアクセスと基本情報
【泉岳寺の所在地】
〒108-0074 東京都港区高輪2-11-1
【泉岳寺の電話番号】
03-3441-5560
【泉岳寺の参拝時間】
開閉門時間:通年 7:00~16:00
※御朱印受付時間は9時〜16時
【泉岳寺の最寄り駅 電車・バスでのアクセス】
●都営浅草線/京浜急行電鉄 泉岳寺駅(2出口)から徒歩3分
●JR 高輪ゲートウェイ駅(北改札)から徒歩5分
●都バス 「泉岳寺前」下車すぐ
【泉岳寺の駐車場】
参拝者用駐車場はなし。周辺のコインパーキングをご利用ください。
泉岳寺のご由緒
泉岳寺は曹洞宗の寺院です。慶長17年(1612年)、徳川家康が今川義元の菩提を弔うため、義元の孫にあたる門庵宗関和尚を招いて、江戸城近くの外桜田(現在の桜田門周辺)に創建されたと伝わっています。では、なぜ泉岳寺が現在の高輪にあるのかというと、寛永の大火で焼失したことが大きな理由です。
焼失後は、3代将軍徳川家光の命により、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名が普請を担当し、現在の地へと再建・移転されました。このときに普請を担った浅野家との関係が、後の歴史へとつながっていきます。
泉岳寺は浅野家の菩提寺でもあり、元禄14年(1701年)の「松の廊下」事件で切腹した浅野長矩の墓がまず建立されました。では、なぜこの寺が忠臣蔵の舞台として語り継がれるようになったのか。その答えは、翌年の出来事にあります。元禄15年(1702年)、赤穂義士が討ち入りを果たした後、大石内蔵助ら四十七士は泉岳寺に赴き、主君の墓前でその成功を報告しました。
さらに元禄16年(1703年)、義士たちは幕府の命により切腹し、その遺骸はすべて泉岳寺に葬られます。こうして浅野家と四十七士の墓が同じ場所に並ぶこととなり、泉岳寺は「忠臣蔵ゆかりの寺」として全国に知られる存在となりました。
その後、明治期の廃仏毀釈や戦災などで荒廃した時期もありましたが、なぜ現在までその姿をとどめているのかといえば、住職をはじめとする関係者の尽力による復興の積み重ねがあったからです。1953年(昭和28年)には本堂が再建され、現在の伽藍が整えられました。
ここから「泉岳寺」の参拝リポートがスタート!
前回の泉岳寺参拝リポートはこちら
『忠臣蔵』の聖地!【泉岳寺・義士墓所の見どころ】
泉岳寺の境内から義士墓所に向かう。

【赤穂義士記念館と義士木像館】四十七士の物語に触れる場所
墓地へと続く道の左手に「赤穂義士記念館」がある。赤穂浪士ゆかりの品々や資料が展示されており、忠臣蔵の物語をより深く知ることができる施設だ。

建物の2階は「義士木像館」となっており、四十七士それぞれの木像が安置されている。

【首洗い井戸】義士たちの本懐を伝える史跡
道中には「首洗い井戸」と呼ばれる場所があった。赤穂浪士が吉良邸への討ち入りを果たしたのち、吉良上野介(吉良義央)の首級をここで洗い、主君・浅野内匠頭の墓前に供える前に整えたと伝えられている井戸。四十七士の忠義を象徴する史跡のひとつで、今も当時の出来事を静かに物語っている。

井戸を囲む玉垣等は、明治時代の芸人・川上音二郎の寄進によるもの。『オッペケペー節』で一世を風靡した彼は、上京した際に泉岳寺を訪れ、荒れ果てていた赤穂浪士の墓所の様子に心を動かされ、整備のための寄付を行ったという。
明治初期の神仏分離や廃仏毀釈の影響で荒廃していた義士の墓所に対し、時代を越えて手を差し伸べた人物がいたという背景を知ると、この井戸の前に立つ時間にも、また違った重みが感じられるはずだ。

【義士墓所入口の門】主君ゆかりの門をくぐり義士の墓所へ
首洗い井戸を過ぎた先に、赤穂義士の墓所へと続く門が建っている。石段の手前に静かに佇むこの門は、かつて浅野家の鉄砲洲上屋敷(現在の聖路加国際病院付近)にあった裏門を、明治時代に移築したものだという。

四十七士が仕え、深く慕った主君・浅野内匠頭ゆかりの門が、墓所の入口として据えられていることに、強い意味を感じさせる。木造の落ち着いた佇まいには歴史の重みがにじみ、これから先に広がる墓域の空気を静かに伝えてくる。
この門は1999年に港区登録有形文化財にも指定されている。門をくぐると、大石内蔵助をはじめとする赤穂義士四十七士の墓が並ぶ墓地へと続いていく。ここから先は、より一層厳かな空気に包まれる場所である。

一旦中に入ったが、これはお線香がいると思い、墓所入口に戻り、お線香をいただく。

線香料300円を納める。

線香は90本前後あった。

【赤穂義士墓所】忠臣蔵の舞台となった聖地
門をくぐると、赤穂義士たちが眠る墓所が静かに広がっている。泉岳寺は、元禄14年(1701)の江戸城松の廊下刃傷事件で切腹した赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)、そしてその仇討ちを果たし自刃した大石内蔵助をはじめとする四十七士の墓がある寺として知られる。まさに「忠臣蔵の聖地」ともいえる場所であり、ここへ至る参拝のルート自体が、歴史をたどる時間のようにも感じられる。
墓所には、浅野内匠頭の正室・瑤泉院(阿久里)の墓や、討ち入り前に主君への忠義と親への孝行のはざまで自刃した萱野重実(萱野三平)の墓も並んでいる。一つ一つの墓に手を合わせながら巡るルートは、義士たちの生き様に静かに向き合えるひとときでもある。
「浅野長矩墓および赤穂義士墓」は国の史跡にも指定されており、今も多くの人がその忠義を偲び、静かに祈りを捧げに訪れている。

【浅野長矩之墓と長矩夫人之墓】
まずは、一番手前にある浅野内匠頭の正室・瑤泉院(阿久里)のお墓に線香2本を供える。

次に、大きい墓所の浅野内匠頭長矩公のお墓に線香2本供える。
この浅野長矩之墓と長矩夫人之墓は、文化財保存工事のノウハウを持つ株式会社 鴻池組が2019~2020年に修復工事を行ったそう。

【八房の梅(やつふさのうめ)】義士の物語を今に伝える縁起の梅
浅野内匠頭長矩公の墓所のそばには、「八房の梅」と呼ばれる一本の梅の木が植えられている。1つの花から8つの実をつけるとされる、縁起のよい梅である。
この梅は、赤穂浪士ゆかりの地・明石の月照寺に伝わる「八ツ房の梅」の系譜を引くものとされる。浪士たちが切腹の前に残したとされる枝が、300年の時を経て分根され、2013年にここ泉岳寺へ移植されたそうだ。

その名の通り、多くの実を結ぶことから「子孫繁栄」や「願いごとの成就」を象徴する存在としても知られている。赤穂義士の物語とともに受け継がれてきたこの梅は、今では墓所を訪れる人々にとっても印象的なシンボルとなっている。
見頃は例年3月中旬頃。静かな墓所の中でほころぶ花は、義士たちの歴史にやさしく彩りを添えてくれる。

【赤穂義士四十七士の墓所】主君への忠義が刻まれた場所
ここから先は、赤穂義士四十七士の墓所である。整然と並ぶ墓石の前に立つと、静かな空気の中に、どこか張りつめた気配を感じる。

3年前、兵庫県赤穂市にある大石神社に参拝したときのことを思い出す。神社参道の両側には義士の石像があった。右側に表門隊23人、左側に裏門隊24人。合わせて47士。両側の義士像の最後は、右に大石内蔵助、左には大石主税(ちから)の像があった。

時は元禄14年(1701年)3月。江戸城内の廊下で赤穂藩主浅野内匠頭長矩が吉良上野介に刃傷(にんじょう)を負わせたことに端を発する。吉良上野介と確執があったとされる。浅野内匠頭は即日切腹。浅野長矩35歳。浅野家は赤穂の所領を没収された。その1年7か月後の元禄15年12月14日、赤穂藩士47人による主君の仇討ちがなされた。歴史上でいう「赤穂事件」だ。

【大石内蔵助の墓】
右奥にある屋根付きの墓が大石内蔵助のお墓だ。

仇討ちがなされた元禄15年の翌16年2月4日に義士は幕府からの命令により自刃している。今から323年前だ。毎年2月4日には、赤穂の大石神社では赤穂義士自刃祭が行われている。今日は2月19日、2週間前が命日ということで、線香をお供えして手を合わせる。

泉岳寺の参拝におすすめ!
「八重桜柄」御朱印帳
赤穂義士ゆかりの寺として知られる泉岳寺にふさわしい、気品ある八重桜をあしらった一冊。いつかは散ってしまう美しい桜の意匠に武士の潔さを重ねると、参拝の時間をより心に残るひとときにしてくれます。
【大石主税の墓】
続いて大石内蔵助の息子・大石主税のお墓に行く。享年16歳。実年齢では14歳だったとされる。今だったら中学2年生か3年生。義士47人の中で最も若い。

47人は表門隊と裏門隊に分かれたが、主税はその裏門隊の大将を務めたという。討ち入りの戦闘は裏門隊でほとんど行われたといい、将としての責任は表門より重かっただろう。その裏門隊が首級を挙げた。胸が痛む。線香を供え、手を合わせる。
【義士の墓に手を合わせる】一人ひとりへ捧げる静かな祈り
そのあとは順に、全てのお墓に線香を供えていった。

これらの墓石は、いずれも当時建立されたものだが、ひとつだけ例外がある。寺坂吉右衛門信行の墓である。彼は討ち入り後、泉岳寺へ向かう途中で離脱したとも、密命を帯びていたとも伝えられ、四十七士の中で唯一切腹せず生き延びた人物とされる。そのため墓は当時のものではなく、明治元年(1868年)に供養墓として建てられたものだという。のちに83歳で病没し、南麻布の曹渓寺に葬られている。

またこの墓所には、討ち入り前に主君への忠義と親への孝行のはざまで自刃した赤穂藩士・萱野重実(萱野三平)の供養墓も置かれている。それぞれの墓に刻まれた物語に触れるたび、単なる歴史ではなく、人の生き方としての重みを感じた。

ひととおり手を合わせ、墓所を後にする前にもう一度一礼する。静かな空気の中で過ごした時間が、心に深く残った。

泉岳寺では、毎年12月の義士祭に加え、4月には「春の義士祭」も開催される。2026年は4⽉1⽇(水)~7⽇(火)の7⽇間開催されるようだ。泉岳寺本堂では寺宝展の特別展示が行われるほか、境内にはさまざまな屋台が並び、普段とは少し違ったにぎわいを見せるという。さらに3⽇(金)~5日(日)の3日間は「春の義士祭祈祷会」 もあり、1日4回の祈祷が行われるのだとか(※参加には事前予約が必要)。
勝利と護身を祈る「摩利支尊天」の印!【義士墓所の御朱印】
入口の受付所に「義士墓所御朱印」があったので、お願いする。書置きのみ。300円。

御朱印に書かれている「摩利支尊天(まりしそんてん)」とは、元々はインドの神様で、陽炎、太陽の光、月の光を神格化したものとされる。陽炎は実体がないため「誰にも傷つけられないもの」とされ、開運・勝利、護身の神として戦国武将に深く信仰されたと伝わる。
また、勝負事に強く自在の神通力があり、念ずれば一切の災いから逃れられるとも。現在もスポーツの試合や試験などの勝利、開運厄除けの神様として崇められているそうだ。
大石内蔵助は、髷の中に摩利支尊天を忍ばせて討ち入りに臨み、本懐を遂げたという逸話が有名だ。この逸話に由来し、義士墓所では摩利支尊天の御朱印をいただけるようになっているという。

忠義の歴史に寄り添う一冊!【泉岳寺にぴったりの御朱印帳】
今回の参拝リポートはいかがだったでしょうか。
東京都港区高輪に静かに佇む泉岳寺。赤穂義士ゆかりの寺として知られ、主君の仇を討った四十七士の墓所を訪ねて、今も多くの人が手を合わせに訪れます。境内にはどこか凛とした空気が流れ、忠義の歴史を今に伝える特別な場所です。
そんな泉岳寺の参拝におすすめしたいのが、「八重桜柄の御朱印帳」です。

幾重にも重なる花びらが美しい八重桜をあしらった、落ち着いた品のあるデザイン。桜は日本文化の中で「門出」「祈り」「新たな始まり」を象徴する花として親しまれてきました。静かな境内で手を合わせ、その記念をこの御朱印帳に記していく時間は、参拝の思い出をより深く心に残してくれることでしょう。
表紙には上質なちりめん生地を使用し、繊細な色彩とやわらかな風合いが魅力。透明カバー付きで汚れにくく、大判サイズなので御朱印もゆったりと収まります。国内で丁寧に製本されており、ページが開きやすいのも嬉しいポイントです。
今回ご紹介した御朱印帳は、Amazonや楽天市場でも購入できます。気になった方は、ぜひチェックしてみてください。
ステキな御朱印帳を片手に、楽しい御朱印集めに出かけましょう!
神社やお寺に行くたびに、その雰囲気や歴史に触れるのってワクワクしませんか?そんな旅の思い出をカタチに残せるのが御朱印です!力強い筆文字や、神社ごとに異なる印影など、御朱印の1つ1つには訪れた場所の個性やストーリーがギュッと詰め込まれています。そして、御朱印帳をパラっと開けば、訪れた際の風景や空気感が一瞬で蘇ります!

御朱印はただの記念スタンプではありません。その神社やお寺とのご縁を結ぶ大切な証。そして何より、御朱印は集める楽しさがどんどん増していくアイテムです!さらに、自分がお気に入りのデザインの御朱印帳を選べば、気分もよりアップすること間違いなし♪ 1冊、また1冊と増えていくたびに、自分だけのコレクションが増えていくのも嬉しいポイントです!
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泉岳寺の御朱印は写経でいただく!納経体験と見どころ紹介