こんにちは!
全国各地のご朱印、お城印集めが趣味の神宮寺城一郎です!
御城印帳づくりに携わる者として、登城の楽しみやお城の魅力を少しでも深くお届けできればと思っています。
今回足を運んだのは、鹿児島県鹿児島市にある「鹿児島城跡」です。鹿児島城は別名「鶴丸城」とも呼ばれます。江戸時代に薩摩藩(島津氏)の中心拠点として重要な役割を果たしました。
この記事では、鹿児島城跡の御城印の販売場所・見どころを中心に、実際に歩いて感じた魅力や印象を交えながらご紹介していきます。どうぞ最後まで、ゆっくりとお楽しみください。
鹿児島城は、約260年にわたり島津氏の居城として存在し、薩摩藩の中心的役割を担ってきました。幕末になると日本の近代化や明治維新にも大きく関わりました。現在、当時の建物の多くは残っていませんが、日本最大級の城門「御楼門」や石垣、黎明館などが鹿児島や薩摩藩の歴史を現代に伝えます。そんな鹿児島城跡を訪れるにあたり、ぜひお供にしたいのが、こちらの御城印帳です。
鹿児島城に持参したい御城印帳
家紋柄御城印帳
鹿児島城は、天守を持たない政治の中心として機能した近世城郭。幕末の日本史とも深く結びついており、現在も歴史を感じられるスポットになっています。家紋柄の御城印帳は、そんな歴史を感じる旅にもってこいな一冊です。
この家紋柄御城印帳は、表紙いっぱいに多彩な家紋を配した重厚感のあるデザインが魅力。さまざまな武将の家紋が並ぶ中には、薩摩藩の島津氏の家紋も並びます。鹿児島城の御城印はもちろん、これから巡る各地の城の記録を収めていくのにもぴったりの一冊です。

さらに、透明ポケットに差し込んで保管できる仕様のため、御城印を折らず・傷つけずにきれいな状態で残せるのも嬉しいポイント。裏面には奉書紙が使われており、スタンプやメモを書き込むこともできるなど、実用性にも優れています。
シンプルで武家らしい重厚感は、派手すぎない「質実剛健」な薩摩藩主・島津氏との相性抜群!鹿児島城めぐりのお供として、そしてこれから続く城巡りの相棒としてもおすすめできる御城印帳です。気になる方は、ぜひチェックしてみてください。
それでは、鹿児島城跡の魅力を一緒に巡っていきましょう!どうぞ最後までごゆっくりお楽しみください!
鹿児島城跡のアクセスと基本情報
【鹿児島城跡の所在地】
〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町7-2
099-222-5100(黎明館)
【鹿児島城跡へのアクセス】
・JR鹿児島中央駅から周遊バス「カゴシマシティビュー」に乗車、バス停「薩摩義士碑前」で下車、徒歩すぐ。
・鹿児島市電「市役所前」電停で下車、徒歩約7分
【鹿児島城跡の駐車場】
黎明館駐車場を利用。普通車125台駐車可。無料
鹿児島城跡について
鹿児島城は、関ヶ原の戦い後の慶長7年(1602年)、島津家久によって築かれた城です。薩摩藩の政治と軍事の中心として整備され、およそ260年にわたり島津氏の政治拠点として重要な役割を担ってきました。
現在の黎明館が建つ場所には、1700年に本丸御殿が移され、以後はここで藩政が執り行われるようになります。城としては珍しく、本格的な天守が築かれなかった点も鹿児島城の大きな特徴です。これは、外敵から守る「戦う城」というより、藩政を司る政治拠点としての性格が強かったためだと考えられています。
また、幕末には西郷隆盛や大久保利通といった維新の中心人物たちがこの地で活動しており、鹿児島城は明治維新の歴史とも深く結びついています。薩摩藩の空気や思想が育まれた場所と思うと、単なる城跡以上の重みを感じます。
しかし明治時代に入ると、西南戦争などの影響によって城内の建物の多くが焼失。現在は石垣や堀の一部が残るのみとなっています。それでも近年は、日本最大級の城門として知られる御楼門が復元され、敷地内には歴史博物館「黎明館」も整備されるなど、往時の鹿児島城を感じられる空間が少しずつ蘇っています。
実際に歩いてみると、天守のない城だからこそ感じられる独特の空気があります。派手さではなく、薩摩という土地が持つ重厚な歴史の存在感をじわりと感じさせてくれる城跡です。
薩摩藩の本拠、西南戦争の記憶が残る【鹿児島城跡の見どころ】
鹿児島出張の合間を縫って、「鹿児島城跡」へと足を運んだ。鹿児島城は「鶴丸城(つるまるじょう)」の名でも知られている。城の縄張りが、見る角度によって鶴が翼を広げた姿に見えることから、地元では親しみを込めてそう呼ばれてきたそうだ。
【城山公園展望台】桜島と西郷隆盛の歴史を望む絶景地
まずは城山公園展望台から巡ることにした。鹿児島市街地と桜島、そして城下の全景を一望できる、まさに鹿児島を代表する展望スポットである。ここから城跡方面へゆっくり下りながら、薩摩の歴史をたどっていこうと思う。
城山展望台へは、鹿児島市営バスのほか、鹿児島中央駅から運行している観光循環バス「カゴシマシティビュー」を利用し、「城山」バス停で下車するのが便利だ。観光客の利用も多く、比較的アクセスしやすい場所となっている。

この城山は西南戦争最後の激戦地でもある。1877年、西郷隆盛率いる薩摩軍が政府軍と最後の戦いを繰り広げた場所であり、周辺には「西郷洞窟」や「西郷終焉の地」などの史跡が点在している。

案内図に従って歩き始めると、道はゆるやかな上り坂になっている。


木々に囲まれた遊歩道を5分ほど進むと、ほどなく展望台へ到着した。

朝日に輝く桜島が見えた!今日は素晴らしい天気だ!
美しい!噴煙を上げる活火山・桜島は、ただ雄大というだけではなく、どこか神々しさすら感じさせる存在だ。静かに煙を吐き続ける姿からは、「生きている山」であることが伝わってくる。鹿児島に来たのだと、一瞬で実感させてくれる景色である。
眼下には鹿児島市街地と錦江湾が広がり、天気が良ければ霧島連山や開聞岳まで望めるという。夜景スポットとしても有名らしいが、この朝の光景だけでも十分すぎるほどの迫力だ。しばらく立ち尽くし、ただ景色を眺めていたくなる。

【城山自然遊歩道】深い緑の中を歩く癒やしの散策路
展望台で桜島と鹿児島市街地の眺めを心ゆくまで堪能したあと、城山自然遊歩道を下っていくことにした。
城山自然遊歩道は、照国神社横の探勝園と、岩崎谷にある薩摩義士碑付近の2カ所に入口を持つ、全長約2kmの散策コース。市街地のすぐ近くにありながら、樹齢約400年ともいわれるクスの大木をはじめ、シダやサンゴジュなど、600種以上の温帯・亜熱帯性植物が自生する自然豊かな場所だ。昭和6年(1931年)には、国の天然記念物および史跡にも指定されている。

実際に歩いてみると、思っていた以上に緑が深い。木々に囲まれた道はほどよく整備されており、観光というより、軽いハイキングを楽しんでいるような気分になる。空気も澄んでいて、深く息を吸い込むと、少し冷たい空気が体にすっと入ってくる。これがなかなか気持ちいい。
途中、散策を楽しむ夫婦の姿も見かけた。地元の方なのか観光客なのかは分からないが、この空気の中を歩けば、誰でも自然と足取りが軽くなるだろう。

木々の合間から、時おり桜島が顔をのぞかせる。そのたびに少し立ち止まり、景色を眺めたくなる。展望台から見る桜島とはまた違い、緑越しに見える姿には静かな趣がある。鹿児島城跡へ向かう途中でありながら、この遊歩道そのものが、ひとつの見どころだと感じた。

【薩摩義士碑】宝暦治水に命を尽くした薩摩藩士を偲ぶ
城山自然遊歩道を下り切ったところに、「薩摩義士碑」が立っていた。木々に囲まれた静かな一角にあり、先ほどまでの爽やかな散策路とは少し空気が変わる。ここは、江戸時代に遠く美濃国で行われた大規模な治水工事「宝暦治水」に関わり、命を落とした薩摩藩士たちを弔うための場所である。
宝暦治水とは、宝暦3年(1753年)、徳川幕府の命によって薩摩藩が担当することになった木曽川・揖斐川・長良川の改修工事である。現在の岐阜県を流れる木曽三川は、たびたび水害を引き起こしており、その治水は長年の課題であった。しかし、薩摩から遠く離れた地での工事を命じられたことは、藩にとって大きな負担だったに違いない。
工事には約1,000人が動員され、工費は40万両に及んだという。完成までには1年3カ月を要し、その間、工事の難しさだけでなく、幕府役人や地域住民との対立、さらには疫病の流行にも苦しめられた。結果として88名もの犠牲者を出すことになった。

碑は、その犠牲となった薩摩藩士たちを供養するため、大正9年(1920年)に建立されたものである。責任者であった薩摩藩家老・平田靱負を中心に、石碑が三角形に並ぶように配置されており、命を懸けて難工事を成し遂げた人々の姿を今に伝えている。
【石垣】戦災と災害を乗り越えた鹿児島城の記憶
城山から下り、鹿児島城跡へ近づいていくと石垣が見えてきた。天守のない城として知られる鹿児島城だが、この石垣を前にすると、薩摩藩の本拠として長く機能してきた城の存在感がじわりと伝わってくる。
鹿児島城跡には、かつて石垣を備えた武家屋敷が多く立ち並んでいたという。しかし、明治10年(1877年)の西南戦争、大正3年(1914年)の桜島大噴火に伴う地震、さらに第二次世界大戦を経て、その多くは失われてしまった。現在、まとまった形で石垣が残るのは、「鹿児島県歴史・美術センター 黎明館」が建つ本丸跡、鹿児島県立図書館がある二之丸跡、鹿児島医療センターがある御厩跡などに限られている。
そのため、今目にしている石垣は、単に城の遺構というだけではない。戦争や災害をくぐり抜け、さらに何度も修復を受けながら残されてきた石垣なのである。同じように見えても、よく見ると石の積み方や大きさ、加工の跡が場所によって少しずつ異なっている。鹿児島城の石垣は、時代ごとの修復の痕跡まで含めて読み解くことができる遺構なのだ。

石材には、火砕流堆積物である溶結凝灰岩が使われている。加工しやすく、灰色を帯びたこの石は、火山の多い鹿児島らしい素材といえる。鹿児島城跡では、その中でも約50万年前の古野火砕流によって生まれた「反田土石」が用いられているという。桜島を望むこの地で、火山由来の石が城を支えていると思うと、鹿児島という土地の成り立ちそのものが石垣に刻まれているようにも感じられる。

鹿児島城の石垣で特に注目したいのが、「隅欠(すみおとし)」と呼ばれる造りである。北東は鬼門にあたる方角とされ、災いが出入りする場所と考えられてきた。そのため、石垣の角をあえて欠き、出隅を入隅にすることで、災いが入り込まないようにしたとされている。防御のための石垣でありながら、そこに信仰や祈りの感覚が込められている点が興味深い。

石垣を横目に堀沿いを歩きながら、御楼門へ向かう。堂々とした佇まいの中に、築城の技術、火山の土地柄、戦争の記憶、そして修復を重ねてきた時間が折り重なっている。鹿児島城跡の石垣は、ただ眺めるだけでなく、近づいて見れば見るほど、この城が歩んできた歴史の深さを伝えてくれる存在である。

【御楼門】147年ぶりに蘇った鹿児島城跡の象徴
鹿児島城跡の正面に堂々と構えるのが「御楼門」だ。城跡の中でもひときわ存在感を放つ、まさに鹿児島城跡のシンボルともいえる門である。
御楼門は、鹿児島城の本丸大手門にあたる門で、かつては藩主の居館の正面中央に建っていたという。鹿児島城の正面を守る門として、薩摩藩の威厳を示す重要な存在だったそうだ。
しかし、明治6年(1873年)の火災により、鹿児島城の建物とともに御楼門も焼失。それから長い年月を経て、明治維新150年の記念事業として復元計画が進められ、県や市、そして民間からの寄付によって、令和2年(2020年)に147年ぶりにその姿を取り戻した。

復元された御楼門は、高さ約20m、幅約20m、総重量約320トンという堂々たる規模を誇る。現存・復元を含めた城門としては国内最大級とされ、屋根に据えられた2基の鯱も国内最大級の大きさだという。実際に門の前に立つと、その大きさに思わず見上げてしまう。
現在の御楼門は、昼間の威風堂々とした姿だけでなく、夜のライトアップも見どころ。日没から22時まで毎日点灯され、時間や季節に合わせて表情を変えるという。初夏には濠いっぱいにハスの花が咲き、石垣や御楼門との組み合わせも美しいらしい。

御楼門の前に架かる橋も印象的だ。かつては木橋だったが、文化7年(1810年)に石橋へと架け替えられたという。この橋を、篤姫や西郷隆盛も通ったのだろうか。そう考えると、目の前の景色に幕末の薩摩の気配が重なって見えてくる。



鹿児島城跡のお供におすすめ!家紋柄御城印帳
薩摩藩が治めてきた鹿児島城の歴史と気品に調和する、武将家紋をあしらった御城印帳。重厚感のあるデザインが城めぐりの気分を高め、御城印を美しく保管しながら旅の記憶をしっかり残してくれる一冊です。
【御楼門周辺の石垣】今も残る西南戦争の砲弾・銃弾痕
御楼門の周辺に残る石垣には、表面に無数のくぼみが刻まれている。風化による凹凸にも見えるが、その多くは明治10年(1877年)の西南戦争で撃ち込まれた砲弾や銃弾の痕跡だという。
鹿児島城跡は、西南戦争の激しい戦いの舞台となった場所である。薩摩軍と政府軍がぶつかり合った歴史を、この石垣は今もそのまま背負っている。中には、くぼみの奥に砲弾の破片が残っているものも確認されており、当時の戦闘の激しさを物語っている。

さらに一部には、第二次世界大戦時の銃撃の痕跡も残されているという。つまりこの石垣は、西南戦争と太平洋戦争という、二度の戦争を経験した貴重な遺構でもある。
復元された御楼門の華やかさに目を奪われがちだが、その足元にある石垣には、薩摩の近代史が生々しく刻まれている。静かに残るくぼみの一つひとつが、戦いの記憶を今に伝えているようだった。

【天璋院像】江戸城無血開城へとつながる篤姫の生涯
黎明館の敷地内に入ると、右に天璋院像があった。2008年のNHKの大河ドラマ「篤姫」を思い出す。
大河ドラマ放送にあわせて設置された「篤姫館」の収益を基に、天璋院篤姫の功績を顕彰するため建立されたのがこの像だ。「篤姫館」は県内外から66万人の入館者が訪れたという。

ドラマでは宮﨑あおいさんが篤姫を演じていた。篤姫の怒涛の生涯に思いをはせる。
従兄であった島津藩主・島津斉彬の養女となり、第13代将軍の徳川家定の正室となったが、結婚生活はわずか1年9か月で家定は急死する。家定の死から9年後、大政奉還となるが、徳川の救済のために、官軍の将であり同じ薩摩出身である西郷隆盛に嘆願書を送り、西郷に心理的影響を与えたとされる。天璋院の一命を賭した奔走もあり、江戸城は無血開城となり、徳川家の存続も許されている。維新後は、薩摩に帰らず、徳川16代家達の養育に力を注いでいる。
薩摩という地方にありながら、国の歴史を変える原動力となった薩摩。もしかしたら、政治の中心地からはなれた地方だから国の在り方を熟慮できたのかもしれない。島津斉彬のように。
黎明館の中に入り、受付で鹿児島城の御城印はどこで購入できるのか尋ねてみた。すると、御城印は西郷隆盛像の隣にある「まち歩き観光ステーション」で取り扱っているとのことだった。
なお、黎明館には「日本100名城スタンプ」や「かごしま文化ゾーンスタンプラリー」のスタンプも設置されている。城めぐりをしている人にとっては、こちらも忘れずに立ち寄っておきたいポイントである。

【石垣めぐり】積み方の違いに鹿児島城の技を見る
改めて石垣に沿って歩いてみる。道沿いには、石垣の積み方についての説明も設けられていた。何気なく眺めていると同じように見える石垣だが、近づいて見ると積み方や石の形に違いがあることが分かる。
「算木積み」は、石垣の角の強度を高めるために用いられる積み方。隅角部分に大きく直方体に加工した石を使い、長辺と短辺を交互に組み合わせながら積み上げていくそうだ。城郭の石垣らしい力強さが感じられる部分だ。

「亀甲積み」は、石材を六角形に加工して積む方法。石の形が亀の甲羅の模様に見えることからそう呼ばれており、鹿児島城跡では御楼門から唐御門にかけての石垣に見ることができる。整然と並ぶ石の形には、実用性だけでなく見せる意識も感じられる。

「金場取残積み」は、石材の縁を一段削り残す加工方法。鹿児島城の石垣の中でも特徴的な意匠のひとつで、御楼門周辺ではその縁に漆喰を塗った珍しい仕様になっているという。石垣でありながら、どこか装飾的な美しさも漂っている。
鹿児島城跡の石垣は、戦いの痕跡を伝えるだけでなく、石材の特徴や職人の技、そして見せる城としての意識まで感じさせてくれる。歩きながら一つひとつ見比べていくと、城跡散策の面白さがぐっと深まっていく。

【西郷隆盛像】城山を背景に佇む「西郷どん」の勇姿
黎明館を後にし、「まち歩き観光ステーション」へ向かって歩いていると、城山を背にして立つ西郷隆盛像が見えてくる。鹿児島を訪れたなら、やはり一度は目にしておきたい象徴的な存在である。
西郷隆盛について、今さら多くを説明する必要はないだろう。薩長同盟の成立や江戸城無血開城など、明治維新の大きな流れの中で中心的な役割を果たした人物であり、鹿児島では今も「西郷どん」として親しまれ、郷土の英雄として語り継がれている。

この銅像を制作したのは鹿児島市出身の彫刻家・安藤照。西郷隆盛の没後50年を記念して制作が進められ、完成までに8年の歳月を要したという。
像は陸軍大将の制服姿で、堂々と仁王立ちしている。本体だけで約6m、台座を含めると約8mにもなる大きさで、近くで見るとかなりの迫力がある。穏やかなイメージで語られることも多い西郷だが、この像からは明治維新を動かした人物ならではの威厳と存在感が伝わってくる。
国道を挟んだ鹿児島市中央公民館前の広場には、「西郷隆盛銅像の撮影スポット」も設けられている。カメラ置き台も用意されているので、銅像を背景にした記念写真も撮りやすい。
薩摩の伝統と格式漂う一枚【鹿児島城の御城印】
西郷隆盛像のとなりに「まち歩き観光ステーション」があった。鹿児島城跡の御城印の販売場所はこちらである。
館内には、鹿児島市内の観光パンフレットが数多く並んでいた。特にまち歩きに関する資料が充実しており、史跡めぐりや自然散策、鹿児島ゆかりの偉人をたどるコースなど、テーマに応じたガイドが用意されている。観光ボランティアガイドの予約もできるようで、鹿児島の歴史をより深く知りたい人には心強い拠点である。

館内に入り、御城印を300円で購入。

まず目を引くのは中央に大きく書かれた「鹿児島城」の力強い墨文字。その右側には「城郭符 薩摩国」の文字が入り、薩摩の城であることを示している。背景には赤い武将のシルエットが大きく配され、日本100名城のひとつとしての存在感も伝わってくるデザインだ。

桜島に感動し、歴史を動かした薩摩を感じる鶴丸城にはたくさんのパワーをもらうことができた。
薩摩の武家文化に寄り添う一冊【鹿児島城跡にぴったりの御城印帳】
今回の鹿児島城跡リポートはいかがだったでしょうか。城山から望む桜島の雄大な姿にはじまり、西南戦争の記憶を刻む石垣、147年ぶりに復元された御楼門、そして西郷隆盛像まで、薩摩という土地が持つ歴史の厚みを感じる時間となりました。
そんな鹿児島城跡めぐりの相棒として、改めておすすめしたいのが「家紋柄御城印帳」です。
鹿児島城は、天守を持たない城でありながら、薩摩藩の政治と文化を支え続けた島津氏の本拠。幕末には西郷隆盛や大久保利通らを生み出した薩摩の精神的な中心でもあり、日本の近代史とも深く結びついています。家紋は、そうした武家の歴史や家の誇りを象徴するもの。この御城印帳に配された多彩な家紋の中には、薩摩藩主・島津氏の家紋も並び、鹿児島城跡の御城印を収める一冊としてふさわしい存在感があります。
表紙いっぱいに家紋を散りばめたデザインは、派手さを抑えながらも重厚感があり、質実剛健な薩摩の気風ともよく重なります。御楼門や石垣を歩きながら感じた武家の気配を、そのまま旅の記録として残していくには、相性のよい御城印帳といえるでしょう。

機能面でも、透明ポケットに差し込む仕様のため、御城印を折らず、傷つけずに保管できるのが大きな魅力です。裏面には奉書紙が使われており、日本100名城スタンプや旅のメモを書き込むこともできます。
鹿児島城跡の御城印を収めることで、この日の記憶がより鮮明に残るはずです。城を歩き、薩摩の歴史に触れ、その余韻を一枚に託す。そんな城めぐりの楽しみを支えてくれる一冊として、ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
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