こんにちは!
全国各地のご朱印、お城印集めが趣味の神宮寺城一郎です!
御朱印帳づくりに携わる者として、もっと御朱印集めが楽しくなるように、訪れた寺社仏閣の魅力や、私たちが手がける御朱印帳のこともお届けしています。
今回訪れたのは、浅草の北側、隅田川近くに鎮座する「今戸神社」。境内はどこを見ても、猫・猫・猫……!?「招き猫発祥の地」そして縁結びのパワースポットとして、特に女性に人気の神社です。
この記事では、今戸神社を実際に参拝して感じた見どころや参拝のポイント、神社で発見したあんな猫やこんな猫、そして御朱印についても交えながらご紹介していきます。
どうぞ最後までお付き合いください。
招き猫発祥の地として知られる今戸神社。良縁祈願や縁結びの神社としても人気があり、境内にはいたるところに愛らしい招き猫が並んでいます。江戸の下町らしい親しみやすさと、どこかほっとする温かな空気に包まれた神社です。そんな今戸神社を訪れるなら、やはり「猫づくし」の御朱印帳を持って行きたくなるもの。参拝の楽しさと縁起の良さを、さらに盛り上げてくれる一冊を選びました。
今戸神社の参拝に持参したい御朱印帳
【招き猫柄の御朱印帳】
今回ご紹介するのは、「招き猫柄の御朱印帳」。黒地の背景にずらりと並ぶのは、金色や赤の招き猫たち。右手、左手、そして両手を上げた子たちまで、縁起のよさがぎゅっと詰まったデザイン。猫モチーフの御朱印帳の中でも、まさに「開運力」満点の一冊です。右手を上げた猫は金運を、左手は人(客)を招くといわれ、両手を上げた猫はその両方を招く縁起の象徴とされています。招き猫発祥の地ともいわれる今戸神社の参拝には、まさにぴったりの一冊です。

表紙には発色の美しい友禅和紙を使用し、華やかでありながらどこか落ち着きのある仕上がり。透明カバー付きで汚れにくく、大判サイズなので御朱印もゆったりと収まります。国内で丁寧に製本されており、ページが開きやすいのも嬉しいポイントです。
境内に並ぶ招き猫に見守られながら手を合わせ、その記念をこの御朱印帳に重ねていく…。今戸神社らしい楽しく縁起のよい参拝の思い出を、きっとやさしく残してくれる一冊です。
この「招き猫柄の御朱印帳」は、Amazonや楽天市場でも購入できます。今戸神社参拝のお供に、ぜひ手に取ってみてください。
それでは、今戸神社の魅力を一緒に巡っていきましょう!
どうぞ最後までごゆっくりお楽しみください。
今戸神社へのアクセスと基本情報
【今戸神社の所在地】
〒111-0024 東京都台東区今戸1-5-22
【今戸神社の電話番号】
03-3872-2703
【今戸神社の参拝時間】
社務所受付時間:9時~16時
【今戸神社の最寄り駅 電車・バスでのアクセス】
●電車
東京メトロ銀座線・都営浅草線・東武スカイツリーライン 浅草駅から徒歩約15分
●バス
都営バス甲 浅草七丁目下車徒歩約5分
都営バス乙・北めぐりんバス リバーサイドスポーツセンター前下車徒歩約1分
【今戸神社の駐車場】
今戸神社には専用の無料駐車場はないため、周辺の有料コインパーキングを利用してください。
今戸神社のご由緒
今戸神社の創建は、後冷泉天皇康平6年(1063年)にさかのぼります。京都の石清水八幡宮を勧請し、当時「今戸八幡」として祀られたのが始まりです。その後、昭和12年(1937年)7月には、白山神社を合祀し、社名を現在の「今戸神社」へと改めました。應神天皇は武運長久のご加護と、親が子を大切に育てる慈しみの精神を本願とされるご祭神として信仰されています。
創建の背景には、奥羽鎮守府将軍であった源頼義・義家父子が、勅命により奥州の安倍貞任・宗任討伐へ向かう際に、深く祈願したことがあります。彼らは鎌倉の鶴岡と浅草の今之津(現在の今戸)に、京都の石清水八幡宮を勧請し、これが今戸八幡(今戸神社)の始まりとなりました。
さらに、白河天皇の永保元年(1081年)には、清原武衡・家衡の反乱を討伐するために出陣した源義家が、今之津に立ち寄り戦勝を祈願しました。祈りが通じ勝利を収めた義家は、その御神徳に感謝して社殿を修復したと伝えられています。
しかしその後も、戦乱や火災のたびに社殿はたびたび被害を受け、再建が繰り返されました。
江戸時代には三代将軍・徳川家光が再建のための材木を下賜し、舟越伊豫守と八木但馬守に命じて寛永13年(1636年)に再建が完了しています。
近代では、大正12年(1923年)の関東大震災で社殿が焼失し、その後復興したものの、昭和20年(1945年)3月の東京大空襲でも再び大きな被害を受けました。
そうした苦難を乗り越え、昭和46年(1971年)11月、氏子や崇敬者の寄進により現在の荘厳な社殿が建立されました。
御祭神は、應神天皇・伊弉諾尊・伊弉冉尊、そして七福神の福禄寿です。
應神天皇とその母・神功皇后は大陸文化を取り入れ、日本文化の発展に寄与したことで知られています。母子の深い情愛が古代から信仰の対象であったことも、この二柱の神の関係からうかがえます。八幡さまが武運の神として広く信仰されてきた一方で、母が子を慈しむ「大いなる愛」を象徴する神でもあるのです。
また、伊弉諾尊・伊弉冉尊の二柱は、天神の命を受けて日本の国土を生み、さまざまな神々をお生みになった男女の神で、古くから「産霊(むすび)の神」と仰がれてきました。『古事記』『日本書紀』にも登場し、縁を結び、生命の創造を司る神として尊崇されています。
●御祭神
應神天皇(おうじんてんのう)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、福禄寿(ふくろくじゅ)…七福神の内の一神
ここから「今戸神社」の参拝リポートがスタート!
招き猫発祥の地で良縁祈願!【今戸神社の見どころ】
東京出張の折、浅草にある今戸神社へ足を運んできた。
浅草駅で降り、隅田川の方へ向かって北へ歩く。今日は少し風が強いものの、空はよく晴れている。冬の東京らしい、澄んだ青空だ。


しばらく歩いていると、右手のビルの隙間からふとスカイツリーが顔をのぞかせた。朝の光を受けながら空に伸びる姿がなんとも美しい。思いがけず東京らしい景色に出会えて、ちょっと得をした気分だ。

見え隠れするスカイツリーを横目に歩を進めていく。こういう街歩きの時間も、参拝の楽しみのひとつだ。浅草の街は観光地でありながら、少し裏道に入ると昔ながらの住宅や商店も残っていて、歩いているだけでなかなか楽しい。

やがて左側に鳥居が見えた。浅草駅から歩いて15分くらい経った感覚だが、すぐ着いたような感じもする。

【一の鳥居】境内へと導く東参道の入口
都道に面した東側の入口に立っているのが、今戸神社の一の鳥居。形は明神鳥居で、中央の扁額には「今戸神社」と記されている。境内に鳥居はこの一基のみで、参拝者を迎える象徴的な存在となっている。
鳥居の脇には社号標が立っている。これは1940年(昭和15年)、皇紀2600年を記念して建立されたものらしい。皇紀とは、初代天皇とされる神武天皇の即位年を元年とする紀年法で、当時は全国各地で記念事業が行われていたそうだ。

鳥居の脇には「沖田総司終焉の地」と書かれた案内があった。
沖田総司といえば、幕末に名を馳せた新選組の一番隊組長である。隊長の近藤勇、副長の土方歳三と並び、新選組を代表する人物として知られている。剣の腕前は群を抜いていたと伝えられ、若くしてその名を轟かせた剣士だったという。
しかし、その生涯は長いものではなかった。新選組が薩長軍との戦いに身を投じるなか、沖田は結核を患い、20代半ばという若さでこの世を去っている。
新選組隊士・永倉新八が記した「同志連名記」によれば、江戸へ引き上げた頃には沖田の病はかなり進んでおり、薩長軍の江戸入りを前に、総司を含む病人たちはここ今戸神社に収容されたとも伝えられており、こうした幕末の歴史とも静かにつながっている場所なのである。

一礼をして鳥居をくぐる。

この日は2月18日、境内には濃いピンク色の川津桜が美しく咲いていた。


【絵馬掛け所】東京有数の恋愛パワースポット
手水舎の周りには絵馬掛け所が設けられており、たくさんの絵馬が掛けられていた。よく見ると、その多くが恋愛成就や良縁を願うもの。今戸神社が「縁結びの神社」と呼ばれる理由がよくわかる光景である。
絵馬の形も少しユニークで、よく見ると真円のかたちをしている。これは「縁」と「円」を掛けたものだという。角のない柔らかな形は、縁結びの神社らしいやさしい印象を感じさせる。
描かれている招き猫の絵柄も今戸神社オリジナル。願い事を書くためのものと、願いが叶ったお礼を書く「成就用」の絵馬の2種類が用意されているのだとか。境内にいると、恋を応援してくれるような空気に包まれている気がして、「よし、もう少し頑張ってみよう」と前向きな気持ちをもらえる場所である。

今戸神社に祀られている神様のうち、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)は夫婦神。日本神話において国生みを行った神様であり、古くから「縁を結び、生み育てる力をもたらす神」として信仰されてきた。近年では、都内でも有数の縁結びパワースポットとして知られ、特に若い女性を中心に多くの参拝者が訪れているそうだ。

【石造狛犬】今戸焼職人が寄進した江戸の遺産
境内の一角には、金網の籠で覆われた石造の狛犬が置かれている。この狛犬は宝暦2年(1752)、当時この地の鎮守であった今戸八幡神社(現在の今戸神社)に、今戸焼の職人たちによって寄進されたもので、さらに文政5年(1822年)8月に再興されたと伝えられている。製作を手掛けたのは浅草新堀の石工・小松屋竹右衛門(岡田竹右衛門)。願主として本多五郎兵衛忠廣という人物の名も刻まれているそうだが、詳しいことはわかっていないようだ。


台座には詳細な銘文が残されており、今戸焼に関わる職人や世話人、合わせて42名が寄進したことが記されているようだ。火鉢屋、土器屋、焙烙屋(ほうろくや)など、当時この地で食器や調理道具といった生活用品を作っていた職人たちの名前が並んでいるらしい。
今戸の町は、江戸時代から焼き物の町として知られていた。この狛犬は、そんな今戸焼職人たちの存在を今に伝える、貴重な歴史資料にもなっている。

本殿の前には新しく奉納された狛犬も置かれている。右が口を開いた阿形、左が歯を食いしばった吽形。おなじみの姿ではあるが、かなり大きく迫力のある狛犬で、参拝者をしっかり見守っているようだった。


【沖田総司終焉之地碑】幕末の剣士が息を引き取ったと伝わる場所
境内には「沖田総司終焉之地碑」と刻まれた石碑が建てられている。幕末の新選組一番隊組長として知られる沖田総司が、この地で最期を迎えたと伝えられることに由来する碑らしい。
沖田は結核を患い、当時この地に仮住まいしていた幕府の御典医・松本良順の治療を受けていたといわれる。しかし病状は回復せず、そのままこの地で亡くなったという説が残っている。新選組隊士・永倉新八の記録「同志連名記」にも「沖田は松本宅で死亡」と書き残されていることが、今戸説の根拠の一つとされている。

ただし、沖田の終焉の地については諸説あるようだ。現在では、千駄ヶ谷の植木職人・柴田平五郎宅の離れで亡くなったという説が有力ともいわれている。松本良順自身も戊辰戦争の混乱の中で幕府軍に従軍していたため、今戸に滞在していた期間は長くなかったと考えられているからだ。
そのため、今戸神社と千駄ヶ谷の2つの場所が「終焉の地」として語られているのである。
歴史の真相は定かではないが、今戸神社の境内には、若き剣士の最期を偲ぶこの碑が現在も立ち続けている。
【今戸焼発祥之地碑】江戸の暮らしを支えた焼き物の町
境内には「今戸焼発祥之地碑」と刻まれた石碑も建てられている。ここ今戸は、かつて江戸を代表する焼き物の町として知られていた場所である。
今戸焼とは、現在の台東区今戸周辺で作られていた土器や土人形などの焼き物のこと。江戸時代から明治時代にかけて盛んに生産され、瓦をはじめ、日常生活で使われる器や調理道具、さらには土人形や工芸品など、多くの焼き物が作られていたという。江戸や東京の人々の暮らしを支えた、まさに地場産業だったとされる。

明治時代以降になると、生活様式の変化とともに需要が減少し、今戸焼の職人たちも次第に数を減らしていった。さらに今戸周辺の都市化や関東大震災、戦災などの影響もあり、多くの窯元は隅田川の東岸や中川・荒川流域へ移転していったという。現在では、このエリアで今戸焼を受け継ぐ職人はわずか1軒のみとなっているのだとか。
【拝殿】招き猫に迎えられる今戸神社の中心
境内の奥へ進み、拝殿へ向かう。現在の社殿は1971年に再建されたもので、「招き猫発祥の地」として知られる今戸神社らしい光景が広がっている。

拝殿の脇には「石なで猫」と呼ばれる2体の石像が置かれている。優しく撫でると福を招くといわれ、多くの参拝者が手を伸ばしていた。この招き猫を携帯電話の待ち受け画面にしておくと願い事が叶うともいわれているのだとか。

拝殿の前に立つと、まず目に入るのが大きな一対の招き猫だ。今戸焼で作られた堂々とした姿で、参拝者を迎えてくれる。そのほか周囲にもたくさんの招き猫が並び、ここがまさに「猫の神社」であることを実感する。

招き猫の発祥にはいくつかの説があるが、浅草で売られていた招き猫が今戸焼で作られていたことから、その焼き物の発祥地である今戸神社が招き猫発祥の地の一つとされているのだという。
さらに招き猫のそばには、七福神の一柱である福禄寿も祀られている。健康・幸福・長寿を授ける神様で、今戸神社は浅草寺(大黒天)などとともに「浅草名所七福神」の一社にも数えられている。神社に福禄寿が祀られているのは少し珍しいが、江戸時代の神仏習合の名残ともいわれている。

訪れたのはちょうど猫の日が近い時期。2月22日「にゃん・にゃん・にゃん」の日が近づくと、この神社はさらに猫好きの参拝者でにぎわうのだそう。
たくさんの招き猫に見守られながら、二拝二拍手一拝で参拝。



今戸神社の参拝におすすめ!
「招き猫柄」御朱印帳
招き猫発祥の地として知られる今戸神社にぴったりの、福を呼び込む招き猫の一冊。白は開運、黒は厄除け、金は金運を招くといわれる縁起のよい意匠が、境内に並ぶ招き猫の世界観とやさしく重なり、参拝の時間をより楽しい思い出にしてくれます。
【招き猫アイテム】思わず手に取りたくなる縁起物
社務所には、招き猫の神社らしく猫をモチーフにしたお守りやグッズがずらりと並んでいた。どれも愛らしく、見ているだけでも楽しい気分に。

その中でも特に目を引いたのが、「三連招き猫」の根付だ。小さな招き猫が3つ連なったデザインで、それぞれに異なるご利益が込められているという。
一番上の白い猫は開運、2番目の黒猫は厄除け、そして3番目の金色の猫は金運を招くとされている。つまり、この一つで3つの福を呼び込むという、なんともありがたい縁起物だ。ひとつで3つものご利益が得られる!すごいお得だ!これは買わずにはなるまい。

招き猫の印が押された一枚【今戸神社の御朱印】
御朱印をお願いする。今戸神社の御朱印は書置きのみで、初穂料は500円。
中央には「今戸神社」と墨書きされ、その横に「招き猫発祥の地」と記されたスタンプが押されている。さらに、七福神の一柱である福禄寿の印も添えられており、白髪で童顔の穏やかな表情が印象的だ。

御朱印のデザインは季節ごとに変わるものではなく、基本的に通年同じ意匠のようだ。シンプルながら、今戸神社らしい縁起の良さがしっかりと感じられる一枚だ。

【大量の招き猫】境内にひそむ福の猫たち
境内を歩いていると、あちこちにたくさんの招き猫が置かれている。社殿の周りだけでなく、植え込みの中や石段のそばなど、まるで本物の猫のようにさりげなく潜んでいるのだ。見つけるたびに、ちょっとした宝探しのようで嬉しい気分になる。

なかには、イラストレーターでもある神主さんが描いた招き猫の絵もあるそうだ。たくさんの猫たちから今戸神社らしい温かい雰囲気を感じさせる。



植え込みには招き猫や猫のオブジェ、さらに猫型のじょうろも。







表情の違うたくさんの招き猫に囲まれているといやされる気持ちになるし、開運に囲まれている気になる。何かいいことがありそうだ。




参拝の帰りは、左手にスカイツリーを見ながら歩く。いい眺めだ。

福を招く招き猫がかわいい!【今戸神社にぴったりの御朱印帳】
今回の今戸神社の参拝リポートはいかがでしたでしょうか。
浅草近く、東京の下町に静かに鎮座する今戸神社。境内には大小さまざまな招き猫が並び、「招き猫発祥の地」として知られるこの神社ならではの、どこか楽しく温かな空気が流れていました。猫好きの方はもちろん、縁結びや開運を願う参拝者にとっても、心がほっとする場所です。
そんな今戸神社の参拝にぜひ持っていきたいのが、「招き猫柄の御朱印帳」です。

黒地の背景に、白・黒・金の招き猫がずらりと並ぶ縁起のよいデザイン。白猫は開運、黒猫は厄除け、金猫は金運を招くといわれ、それぞれのご利益がぎゅっと詰まった一冊です。招き猫発祥の地を訪れるなら、まさにぴったりの御朱印帳といえるでしょう。
境内の招き猫たちに見守られながらいただいた御朱印を、この一冊に重ねていく。そんな時間もまた、今戸神社の参拝をより楽しい思い出にしてくれるはずです。
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