こんにちは!
全国各地のご朱印、お城印集めが趣味の神宮寺城一郎です!
御朱印帳づくりに携わる者として、参拝の楽しみや寺社の魅力を少しでも深くお届けできればと思っています。
今回足を運んだのは、愛媛県にある「松山城」です。松山城は愛媛県松山市の勝山に築かれた平山城で、現存12天守の一つ。松山市街の中心部にそびえ、市街を見渡すのにぴったりな絶景スポットでもあります。
この記事では松山城の見どころや魅力と、併せて訪問したい松山の観光スポットの一つ「坂の上の雲ミュージアム」について紹介します。見どころや実際に歩いて感じた魅力など、どうぞ最後までご覧ください。
現存十二天守の一つとして知られ、築城以来およそ400年にわたり、今も松山の街を見守り続けている松山城。標高132メートルの勝山山頂にそびえる天守を中心に、連郭式の縄張りや現存する櫓・門など、城郭としての完成度の高さでも名高い名城です。
そんな松山城を訪れるにあたり、ぜひお供にしたいのが、こちらの御城印帳です。
松山城に持参したい御城印帳
家紋柄御城印帳
松山城は、加藤嘉明の築城に始まり、その後は蒲生氏、そして江戸時代を通じては松平家が城主を務めてきたとされています。歴代藩主の存在が色濃く刻まれた城だからこそ、「家紋」がモチーフの御城印帳はとても相性が良い逸品です。
この家紋柄御城印帳は、表紙いっぱいにさまざまな家紋が配された印象的なデザイン。城主の系譜や武家文化を象徴する家紋が並ぶ姿は、まるで日本の城の歴史そのものを一冊に凝縮したかのようですね。松山城の御城印をはじめ、各地の城を巡って集めた御城印を収めていくのにもぴったりの一冊といえるでしょう。

落ち着いた色合いの中に、きらりと存在感を放つ家紋の意匠は、写真映えするだけでなく、手に取るたびに気持ちを引き締めてくれます。製本もしっかりとしており、ページの開きがよく、御城印をきれいに保管できるのも嬉しいポイントです。
松山城の長い石段を登り、天守から城下を見渡し、歴史の重なりを肌で感じたあとに、この御城印帳に一枚を収める。その行為自体が、旅の記憶をより深く刻んでくれるように思います。
松山城めぐりのお供として、そしてこれから城巡りを続けていく相棒としてもおすすめできる御城印帳です。
気になる方は、ぜひチェックしてみてください。
それでは、松山城の魅力を一緒に巡っていきましょう!どうぞ最後までごゆっくりお楽しみください!
松山城のアクセスと基本情報
【松山城の所在地】
〒790-0008 愛媛県松山市丸之内1
【松山城の電話番号】
089-921-4873
【松山城へのアクセス】
●松山空港から リムジンバスで約30分 「大街道」にて下車。徒歩5分
●JR松山駅から 「道後温泉行き」市内電車で約10分 「大街道」にて下車。徒歩5分
●松山ICから 国道33号線経由 約20分
【松山城の駐車場】
ロープウェイ乗り場まで徒歩約2分の松山城駐車場(喜与町駐車場)あり。
●料金 普通車:2時間420円、以降30分ごと100円
●営業時間 8時~ロープウェイ営業終了時間+30分後
松山城について
松山城は、愛媛県松山市の中心部にそびえる全国的にもよく知られた名城です。市街地の真ん中にありながら、標高約130mの勝山(かつやま)を丸ごと城として利用したつくりは、とても雄大で、遠くからでもその存在感を感じさせます。
築城が始まったのは慶長7年(1602年)。城を築いたのは、関ヶ原の戦いで功績を挙げた戦国武将・加藤嘉明と伝わっています。山の頂上に本丸、山の中腹に二之丸、ふもとに三之丸を配置する立体的な構造は、敵の侵入を防ぐための工夫であると同時に、城としての美しさも兼ね備えています。
現在の松山城には、江戸時代に再建された天守をはじめ、城門や櫓(やぐら)など22棟もの建物が残されており、多くが国の重要文化財に指定されています。中でも天守は、いくつかの建物が渡り廊下でつながった「連立式」と呼ばれる形式で、現存する12天守の中では最も新しい、嘉永5年(1852年)に建て直されたものと言われています。とはいえ、築城当時の設計を忠実に受け継いでおり、城郭としての完成度の高さは今も色あせていません。
本丸からの眺めも、松山城の大きな魅力の一つです。眼下には松山市街が広がり、天気の良い日には遠く瀬戸内海まで見渡せます。春は桜、秋は紅葉と、季節ごとに異なる表情を楽しめるのも、この城ならではの贅沢でしょう。
ロープウェイやリフトを使えば気軽に天守まで上がることができますが、あえて徒歩で登れば、石垣や門を一つひとつ眺めながら、城が築かれてきた歴史をじっくりと味わうこともできます。松山城は、観光としても、歴史散策としても、訪れる人それぞれの楽しみ方を受け止めてくれる懐の深い城であると言えます。
ここから「松山城」のリポートがスタート!
加藤嘉明が築いた名城!【松山城】の見どころ
松山出張の合間を縫って、かねてから訪れたいと思っていた現存12天守のひとつ、「松山城」へ足を運んだ。
松山市随一の繁華街・大街道から歩いてほどなく、「松山城ロープウエイのりば」に到着する。街なかにありながら、ここから一気に城へ向かう時間に切り替わる感じがして、自然と気分が高まる。

館内に入ると、まず目に飛び込んできたのはNHKドラマ「坂の上の雲」のポスターだった。司馬遼太郎の名作を原作に、松山ゆかりの秋山兄弟や正岡子規を描いた作品である。「坂の上の雲ミュージアム」も、松山を訪れたならぜひ立ち寄りたい場所のひとつだと、あらためて思う。

ここからは、ロープウェイかリフトを使って、天守の少し手前にある長者ヶ平(ちょうじゃがなる)まで上がることができる。


ロープウェイなら約3分、リフトなら約6分。いずれも往復券で520円という手軽さだ。どちらに乗るか迷うところだが、初訪問ということもあり、今回は定番のリフトを選んだ。

待合スペースには、現存12天守を紹介するポスターも掲示されていた。これまでに訪れた城を指折り数えてみると、丸岡城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、高知城の6城。そして今日の松山城で7つ目になる。こうして少しずつ増えていくのも、現存天守巡りの楽しみのひとつだろう。

【リフト】俳句のことばに見送られて城山へ向かう空中散歩
ロープウェイとリフトの乗り場とに分けられている。ロープウェイは10分ごとの運行、リフトはいつでも乗ることができる。

見た目はスキー場でおなじみのリフトとほぼ同じ、一人乗りのシンプルな造りだ。回転してきた椅子にタイミングを合わせて腰掛け、足を宙に預けると、そのまま静かに山肌を登っていく。

高いところが苦手な方や天候が不安な日はロープウェイを選ぶのが無難だろう。

天気の良い日は断然リフトがおすすめだ。屋根も壁もない分、風を直接感じることができ、木々の匂いや鳥の声まで耳に届く。観光施設でありながら、どこか自然の中に溶け込んでいくような感覚がある。

この日は雲ひとつない快晴。眼下には松山市街が広がり、城下の日常がゆっくりと流れていく。途中、向かい側を進むロープウェイのゴンドラとすれ違う瞬間もあり、ちょっとした旅情を感じさせてくれた。

リフトの所要時間はおよそ6分。決して長くはないが、歩くのとはまったく違う時間の流れがある。

このリフトで印象的なのが、眼下に目をやると現れる「ことば」の数々だ。斜面には、松山らしく俳句や短い詩が点在しており、リフトに揺られながら一句一句を拾い読むのが楽しい。さすが正岡子規を生んだ俳都・松山だ。城へ向かう道中にまで、さりげなく言葉の文化が息づいている。
城下町の風景、風、そして俳句。松山という土地柄を、身体で味わいながら天守へ近づいていく。

【登り石垣】城を守る圧巻の防御線
山頂の「長者ヶ平駅」に到着すると、ここからは自分の足で天守を目指すことになる。

木々の隙間から石垣の一部がちらりと見えた。その一瞬で気持ちが一気に高まる。

石垣が美しい!この石垣の高さ!反り!石垣の角の鋭角さ!
中でも「登り石垣」は全国最大級の規模だそう。石材は花崗岩、隅部は算木積。高さ10m、総延長は230mを越える。曲線が美しい扇勾配と、防御性を高めるため屈折を連続させた屏風折りが特徴。ほとんどが築城当時のまま残されている。

石垣の上には櫓が据えられ、無骨さの中にどこか品格が漂う。

石と木、直線と曲線が織りなす景色は、ただの遺構ではなく、ひとつの「完成された構造美」として目に映る。

門をひとつ、またひとつとくぐり抜けながら、天守へと近づいていく。
【戸無門(となしもん)】敵を誘い込むためにあえて閉ざさない門
本丸広場へと進む順路の途中に現れるのが「戸無門」である。江戸時代に建てられた重要文化財で、名前の通り創建当初から門扉を持たないという、少し変わった役割を担った門だ。
一見すると守りが手薄に見えるが、実はこの「扉を設けなかった構造」こそが松山城の防御思想を端的に示しており、ここが大きな見どころである。戸無門は、本丸へ至る大手入口の最初に設けられた門で、敵をあえて通過させ、その先に控える筒井門へと誘い込むための導線として機能していたと考えられている。攻め手を油断させ、城内深くへ引き込むというその計算された配置に、松山城の巧みな城づくりがよく表れている。

門の形式は高麗門と呼ばれる造りで、石垣の上に立つ左右の柱を支点とし、門の幅は一間ほど。脇に小さな戸はなく、屋根は本瓦葺きの一重構造となっている。柱には、扉を取り付けた痕跡が見られないことから、建てられた当初から戸のない門として設計されていたことがうかがえる。
門の上部には格子状の欄間が設けられ、装飾は控えめながらも、要所としての緊張感が漂う。建築年代の詳細ははっきりしていないが、17世紀前半、江戸時代初期にあたる寛永から正保年間に建てられたと推定されている。
【筒井門(つついもん)】本丸を守る最大の要塞門
戸無門を抜けた先で立ちはだかるのが、松山城本丸下段に構える「筒井門」である。ここは本丸への出入口を厳重に守る、城内最大規模の門で、一重櫓門という形式をとっている。
現在目にする筒井門は、昭和24年(1949年)の放火によって焼失した旧門を、昭和46年(1971年)に木造で復元したもの。再建にあたっては、残された資料をもとに、築城当初の姿をできる限り忠実に再現しており、往時の松山城の防御思想を今に伝えている。

門は分厚い石垣に挟まれるように建ち、左右には櫓が連なっている。上階は東続櫓・西続櫓とつながり、門そのものが防御拠点として機能していたことがよくわかる構造だ。正面の壁は「太鼓壁」と呼ばれる造りで、矢や鉄砲に備えた狭間が設けられている。さらに、門扉の真上には床の隙間があり、侵入してきた敵を上から攻撃できる仕掛けも備わっている。装飾性よりも実戦を重視した、いかにも「戦うための建築」といった印象で、その無骨さがかえって迫力を感じさせる。

【隠門続櫓(かくれもんつづきやぐら)】背後から襲うための切り札となった門
筒井門を正面突破しようとする敵を背後から討つ。そんな周到な戦略のために設けられたのが「隠門」である。戸無門から入り、筒井門へと意識を集中させた敵兵の死角となる位置にこの隠門がひっそりと隠されている。
隠門は、筒井門の東続櫓の裏側、石垣の陰に設けられた「埋門形式」と呼ばれる門で、正面からはその存在に気づくことができない。敵が筒井門の堅固さに手こずっている間に、この隠門から城兵が出撃し、側面や背後を突くという、まさに本丸防御の切り札ともいえる仕掛けだ。

その隠門の上に建てられているのが「隠門続櫓」である。隠門に接続する平櫓で、長者ヶ平から続く登城道を見下ろし、往来を監視する役割を担っていたという。石垣の形状に合わせて築かれているため、平面は規則的ではなく、どこか歪んだ独特の姿をしている点が見どころである。
隠門続櫓は、築城期である16世紀末から17世紀初頭に建てられたとされ、創建当時の技法を今に伝える貴重な建造物だ。昭和10年(1935年)には旧国宝に指定され、現在は重要文化財として大切に保存されている。
正面から見れば堂々たる筒井門、その裏側には敵の意表を突く隠門と隠門続櫓が控える。この表と裏を使い分けた構えこそが見どころであり、松山城の本丸防御が、力任せではなく知恵と計算に基づいて築かれていたことを雄弁に物語っている。城が「攻める」ためだけでなく、「守り抜く」ための存在であったことを実感できる一角である。
【太鼓門】本丸を防御する最後の関門
「太鼓門」は、松山城本丸に設けられた一重櫓門で、筒井門・隠門とともに堅固な桝形を構成する、大手防御の要である。ここまで進んできた敵にとっては、まさに最終関門ともいえる存在だ。
この太鼓門は、もともと旧国宝に指定されていた建造物であったが、昭和20年(1945年)7月26日の松山空襲によって焼失した。現在の建物は、昭和47年(1972年)に、当時の資料をもとに木造で忠実に復元されたものだそうだ。

構造は、石垣に挟まれた脇戸付きの櫓門で、上階は北続櫓と南続櫓に接続している。外観は、腰部分が簓子下見板張(ささらこしたみいたばり)、上部は軒裏まで白漆喰で塗り込められ、重厚さと美しさを兼ね備えた姿が印象的だ。
正面となる東壁は、矢や鉄砲による攻撃に備えた「太鼓壁」となっており、二連の突上げ窓が設けられている。さらに、矢狭間や鉄砲狭間が随所に配され、門扉の真上には床に細い開口部が設けられている。これは、門に取り付いた敵を真上から攻撃するための仕掛けで、極めて実戦的な構造といえる。防御と実用性を最優先にした造りからは、松山城が「戦う城」であったことがひしひしと伝わってくる。
【本丸広場】天守閣を仰ぎ、市街を見渡す城の中心空間
太鼓門をくぐり抜けると、視界が一気に開け、本丸広場に出る。ここは松山城の中心ともいえる場所で、門や石垣に囲まれた、城内でもひときわ重要な空間である。
広場の周囲には休憩所や売店、お土産物屋が並び、城歩きの合間にひと息つけるよう整えられている。ベンチや木陰も多く、天守閣を見上げながら腰を下ろして過ごす人の姿が自然と溶け込んでいるのが印象的だ。

正面には、連立式天守を中心に櫓や石垣が重なり合う、松山城らしい力強い景観が広がる。屋根の重なりが生み出す美しいシルエットと、堅牢な石垣の存在感に、城郭建築の完成度の高さをあらためて実感させられる。

さらに、この本丸広場から見下ろす松山市街の眺めも実に素晴らしい。かつて城主がこの場所から町の様子を見渡していたであろうことを思うと、今目にしている風景が、歴史と地続きであることを実感できる。
かつては緊張感に満ちた城の中枢だった本丸広場だが、現在では人々が集い、景色と歴史をゆっくり味わうことのできる開かれた空間となっている。天守閣へ向かう前に、あるいは見学を終えたあとに、しばし足を止めて過ごしたくなる場所だ。

【天守閣へ連なる遺構群】幾重にも仕掛けられた、鉄壁の防御ライン
天守閣への入場券(520円)を購入し、一の門から本壇へと足を踏み入れる。


ここから先は、松山城が誇る防御構造の真骨頂ともいえるエリアだ。門と櫓が幾重にも連なり、敵を段階的に追い詰めていく構えが、今もはっきりと読み取れる。

まず現れるのが一の門。本壇への正式な入口にあたり、ここを通過する敵は、二の門・三の門の櫓、さらには小天守からも攻撃を受ける想定となっている。正面突破がいかに困難であったかがよくわかる。

続く二の門は薬医門形式の門で、天守閣や三の門東側の堀から射撃される配置だ。

さらに進むと三の門が現れ、ここでは三の門南櫓と天守が連動して防御にあたる。門をくぐるたびに、敵の立場に立てば立つほど身動きが取れなくなっていくような感覚を覚えた。

三の門の先には筋鉄門(すじがねもん)が控える。門の柱に鉄板が張られていることからこの名が付いたといい、上部の櫓は天守閣と小天守を結ぶ通路としても機能している。ここは三の門を守るための要所であり、防御の厚みをさらに増している。

二の門、三の門、筋鉄門を抜けると、本壇の中心部へと入る。ここからは櫓群が立体的に連なり、城の内部構造がよりはっきりと見えてくる。
小天守は天守閣に次ぐ規模を持つ二重二階の櫓で、大手と搦手の両方を守る重要な位置に置かれている。そこから伸びる多聞櫓は、小天守と南隅櫓を結ぶ建物で、防御と移動の両面を担っていたと考えられている。

本壇の西南隅に建つ南隅櫓は、乾門方面を守ると同時に、二の丸・三の丸を監視する役割を持つ二重櫓だ。そこから伸びる多聞櫓は、小天守と南隅櫓を結ぶ建物で、防御と移動の両面を担っていた。

本壇の西南隅に建つ南隅櫓は、乾門方面を守ると同時に、二の丸・三の丸を監視する役割を持つ二重櫓だ。

さらに、南隅櫓と北隅櫓をつなぐ十間廊下が延びる。名の通り十間(約18m)の長さがあり、乾門方面への備えとして機能していたと考えられている。

本壇の西北に位置する北隅櫓は、乾門や野原櫓方面を防衛する重要な櫓で、ここもまた二重構造となっている。

玄関多聞櫓は、本来の出入口であった玄関を守る位置にあり、内門櫓を経て天守閣へ至る動線を厳重に管理していたとされる。

内側から小天守、多聞櫓、南隅櫓、十間廊下、北隅櫓、玄関多聞櫓を見て、いよいよ天守閣へと足を踏み入れる。

【天守閣内部】急階段の先に広がる松山の歴史と眺望
天守閣の中に入ると、まずはスリッパに履き替える。現存天守ならではの木の床の感触が、自然と気持ちを引き締めてくれる。

いきなり現れるのが急な階段だ。これまで訪れてきた現存天守と同じく、松山城の天守閣内の階段も例外なく急で段差も高い。

手すりにつかまりながら、一段一段慎重に上がっていく。敵の侵入を防ぐためとはいえ、当時の人々はこれを日常的に行き来していたのだと思うと、その身体感覚に驚かされる。

天守閣内部には、松山城の歴史や城主に関する展示が並ぶ。松山城を築いたのは、賤ヶ岳七本槍の一人として名を馳せた加藤嘉明公と伝わっている。

「賤ケ岳の七本槍」とは、本能寺の変の後、山崎の戦いで明智光秀に勝利した羽柴秀吉がいよいよ天下取りに向け柴田勝家と戦ったのが1583年の「賤ケ岳の戦い」だ。その際に功を上げた7人の若武者のことをいう。つまり、秀吉のために戦った勇猛な7人であるが、その後の豊臣家中における分裂で、関ヶ原の戦いでは加藤清正、福島正則とともに東軍についている。この地を「松山」と名付けたのも嘉明公とされる。


嘉明公が城と城下町の礎を築いた人物であることが、数々の展示からもよく伝わってくる。


動線は、玄関多聞櫓から入り、小天守の2階へ、そして最後に大天守の3階へと続く。展示を眺めながら進むうちに、日本人観光客だけでなく海外からの来訪者の姿も多いことに気づく。松山城が国内外から注目される存在であることを、あらためて実感する瞬間だ。

最上階である3階にたどり着くと、視界が一気に開ける。

ここからの眺めは実に素晴らしい。眼下には松山市街が広がり、その向こうには四国山地の山並みも見える。そして北側の遥か向こうには瀬戸内の穏やかな風景が続く。城を守るために選ばれた高所でありながら、同時に城主が領国の隅々まで見渡していたであろうこの眺望そのものが見どころである。
急な階段を上り切った先で出会うこの景色こそ、現存天守・松山城を訪れる醍醐味の一つだといえるだろう。


松山城のお供におすすめ!家紋柄御城印帳
現存12天守・松山城の歴史と格式にふさわしい、武将家紋をあしらった御城印帳。凛としたデザインが城歩きの気分を高め、大切な御城印を美しく残してくれる一冊です。
【再び本壇へ】天守閣を後にして静かな遺構を再び巡る
天守閣最上階からの眺めをしばし堪能したあと、来た道をたどって天守閣を降り、再び本壇へと戻る。
天守の西側に位置するのが「内門」だ。ここは天守閣と玄関多聞櫓をつなぐ通路の下に設けられた門で、本壇の動線を巧みに区切る役割を果たしているのだという。城の中心部である本壇においても、移動の一つひとつが防御を意識して設計されていることがよく分かる場所だ。

続いて、天守閣の北側にある「仕切門」へ。名前のとおり、空間を分ける役割を担ったとされる門で、敵の侵入を段階的に食い止めるための工夫が感じられる。門を一つ越えるごとに視界や足取りが変わり、自然と城の奥へと導かれていく巧みな構成は、実際に歩いてみてこそ実感できる。

本壇の東北隅に建つのが「天神櫓」である。この櫓には、学問の神として知られる菅原道真公、いわゆる天神様の像が安置され、城の安全と安泰を祈ったことからこの名で呼ばれるようになったという。軍事施設である城の中に、信仰の対象が祀られている点は興味深く、戦と政治だけでなく、祈りによって城を守ろうとした当時の人々の心情も伝わってくるようだ。

天守を中心に、門や櫓が緊密に配置された本壇を歩いていると、松山城が幾重にも考え抜かれた防御と信仰、そして暮らしの思想が重なり合った空間であることがよく分かる。天守からの眺望とはまた違った視点で、城の奥深さを味わえるひとときであった。
煌めく金色に宿る歴史の重み!松山城の御城印
御城印は本壇に入ったところにある土産物屋「城山荘」で販売していた。
ここでは昼バージョンと夜バージョンの2種類の御城印が販売されており、私は昼バージョンである金色の御城印をいただく。初穂料は550円。

手に取った瞬間、まず目を引くのはその華やかさ。金色の用紙に施された文字と意匠は、光の当たり方によって表情を変え、現存12天守のひとつとして長い歴史を刻んできた松山城の格を感じさせる仕上がりとなっている。

きらきらと光沢のある御城印で、とても豪華。記念としてはもちろん、御城印帳に収めた際にも存在感のある一枚だ。
松山城の御城印は、時期やイベントに応じてデザインが変わることがあるといい、限定仕様の御城印が頒布されることもあるそうだ。

再び美しい石垣と櫓と天守を眺めた後、リフトで再び降りる。


【坂の上の雲ミュージアム】松山が生んだ「明治という時代」をたどる場所
松山城を見終え、ロープウェイ乗り場を後にして、次に向かったのが「坂の上の雲ミュージアム」である。城山の麓から市街地を抜け、10分ほど歩く。

ほどなくして、直線と曲線を生かした印象的な建物が視界に入ってきた。直感的に「安藤忠雄さんの設計では」と思ったが、やはりその通りだった。打ち放しコンクリートの静かな佇まいが、周囲の街並みに凛とした緊張感を与えている。



「坂の上の雲」は、司馬遼太郎による代表作であり、私自身、小説もNHKのドラマもいずれも深く印象に残っている。とくにドラマ版は、2009年から3年にわたって年末に放送された特別な作品で、初回放送も、昨年の一挙再放送も、どちらも欠かさず見た。明治という時代を舞台に、日露戦争を軸として若者たちの挑戦と成長を描いたスケールの大きな物語である。

ミュージアムの展示は、作品世界をなぞるだけでなく、実際の歴史資料や人物像を通して、明治という時代を立体的に伝える構成になっている。建物内部は、吹き抜けやスロープを生かした空間構成が特徴的で、来館者は自然と「物語を読み進める」ような感覚で展示を巡ることになる。

展示室内は一部を除いて撮影禁止だが、その分、文章や映像、資料にじっくり向き合う時間が確保されている印象だった。

作品の中でも心を打たれたのが、伊予松山出身の秋山好古・真之兄弟の姿だ。兄は陸軍、弟は海軍という異なる立場で、日本という「まことに小さき国」が大国に立ち向かう最前線に立ち、苦悩しながらも職務を全うしていく。その姿は、単なる戦記ではなく、時代を背負った人間ドラマとして胸に迫ってくる。今でも、渡辺謙さんの落ち着いた語りによる「伊予松山に…」から始まる印象的な冒頭の一節と、あのテーマ曲が鮮明に思い出される。

個人的には、館内のどこかで「あのテーマ曲が静かに流れていたら…」と思わずにはいられなかったが、それもまた訪問者それぞれの記憶に委ねられているのだろう。松山城が「武家の歴史」を体感する場所だとすれば、坂の上の雲ミュージアムは、「近代日本の精神」を静かに見つめ直す場所。松山という街の奥行きを、改めて実感する締めくくりとなった。
《坂の上の雲ミュージアムの基本情報》
【坂の上の雲ミュージアムの所在地】
〒790-0001 愛媛県松山市一番町三丁目20番地
【坂の上の雲ミュージアムの電話番号】
089-915-2600
【坂の上の雲ミュージアムの基本情報】
●開館時間 9:00~18:30(最終入館18:00)
●休館日 原則月曜日
●展示室観覧料 大人500円
家紋デザインが歴史散策のお供に最適!松山城にぴったりの御城印帳
今回のリポートはいかがだったでしょうか。
現存12天守の「松山城」から「坂の上の雲ミュージアム」まで巡る、松山の歴史と物語に触れる一日となりました。
そんな松山城散策のお供としておすすめしたいのが「家紋柄御城印帳」です。
松山城は、加藤嘉明から始まり、蒲生氏、松平氏へと城主が移り変わってきた名城。武家文化や城郭の美しさが今も色濃く残る場所だからこそ、家紋をあしらった御城印帳がよく似合います。
表紙には、武将たちの象徴ともいえる家紋文様をデザイン。落ち着きのある佇まいの中に、凛とした力強さが感じられ、城を巡る気分を自然と高めてくれます。天守や門、石垣を見上げながら、この御城印帳を手にしていると、どこか背筋が伸びるような感覚を覚えるのでは。

そして、御城印を集めている方にとって嬉しいポイントが、折らず・傷つけずに保管できる仕様であること。旅先でいただいた大切な一枚一枚を、きれいな状態のまま残しておくことができます。松山城の御城印はもちろん、これから訪れる城の記録を重ねていく一冊としても頼もしい存在です。
カラーは黒・赤・茶・紫の4種類。重厚感を楽しみたい方、落ち着いた雰囲気がお好みの方など、好みに合わせて選べるのも魅力のひとつでしょう。
松山城を歩き、天守からの眺めに心を奪われ、城下町に流れる物語に思いを巡らせる…。そんな時間の記憶を、この家紋柄御城印帳にそっと重ねていくのも趣深いですね。松山の旅をより印象深いものにしてくれる一冊です!
この家紋柄御城印帳は、Amazon・楽天市場で取り扱いがあります。松山城を訪れる予定のある方、城巡りが好きな方は、ぜひチェックしてみてください!
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