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あなたが欲しかった御朱印帳はきっとここにあります

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豊臣秀長ゆかりの地!奈良【郡山城跡】の御城印と周辺の見所案内

TOP / ブログ / 豊臣秀長ゆかりの地!奈良【郡山城跡】の御城印と周辺の見所案内

2025年12月29日

こんにちは!

全国各地のご朱印、お城印集めが趣味の神宮寺城一郎です!

御朱印帳づくりに携わる者として、参拝の楽しみや寺社の魅力を少しでも深くお届けできればと思っています。

今回足を運んだのは、奈良県大和郡山市。郡山城跡と大納言塚を訪ねました。その理由は来年2026年に放送予定のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」 

豊臣秀長は郡山城主であり、郡山城は秀長によって大規模に整備され、城下町も形成されました。これが現在の大和郡山市の基盤になったと言われています。そのため大和郡山市は豊臣兄弟とゆかりのあるスポットであり、大河ドラマに向けて注目されているんです!

この記事では郡山城を中心に豊臣兄弟とゆかりのある地を紹介します。見どころや実際に歩いて感じた魅力など、どうぞ最後までご覧ください。

奈良県大和郡山市は、全国的にも知られる「金魚の町」。江戸時代から続く金魚養殖の歴史を持ち、今も市内のあちこちで金魚にまつわる風景や意匠に出会うことができます。郡山城下町を歩いていると、ふとした看板やモニュメントに金魚の姿を見つけることもあり、この町の文化として深く根付いていることを実感します。そんな大和郡山の土地柄を背景に、郡山城跡や周辺史跡を巡る際にぜひ持参したいのが、こちらの御朱印帳です。

郡山城跡と大納言塚に持参したい御朱印帳

金魚柄の御朱印帳

金魚柄の御朱印帳は、愛らしくもどこか涼やかな金魚の意匠が印象的な一冊。ゆったりと泳ぐ金魚の姿は、城下町・大和郡山の穏やかな時間の流れを思わせ、歴史散策のお供にもぴったりです。

表紙には友禅和紙が使われ、金魚の柄が上品にあしらわれています。かわいらしさだけでなく、落ち着きも感じられるデザインなので、年齢や性別を問わず持ち歩きやすいのも魅力。製本は日本国内で丁寧に仕上げられており、しっかりとしたつくりで、御朱印・御城印を書いていただく際にも安心感があります。

郡山城の石垣を眺め、大納言塚の前に立ち、この地に刻まれた歴史に思いを巡らせながら、金魚柄の御朱印帳に一頁ずつ記していく。大和郡山への旅の記憶を手元に残してくれる一冊です。

この金魚柄の御朱印帳は、楽天市場の商品ページから購入できます。
気になる方は、ぜひチェックしてみてください。

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それでは、郡山城跡と大納言塚の魅力を一緒に巡っていきましょう!どうぞ最後までごゆっくりお楽しみください!

目次
  1. 郡山城跡のアクセスと基本情報
  2. 郡山城跡について
  3. 豊臣秀長公ゆかりの地!【郡山城跡と大納言塚】の見どころ
  4. 城下町と金魚文化を伝える一枚!柳澤神社の御朱印
  5. 大和大納言・秀長の居城を訪れた思い出に。郡山城の御城印
  6. 大和郡山市に行くならこれ!ぴったりな金魚柄の御朱印帳!
  7. ステキな御朱印帳を片手に、楽しい御朱印集めに出かけましょう!

郡山城跡のアクセスと基本情報

【郡山城跡の所在地】

〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町2−255

GoogleMap >

【郡山城跡の電話番号】

0743-52-2010

(大和郡山市観光協会)

【郡山城跡へ電車・バスでのアクセス】

●近鉄郡山駅
近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から徒歩約7分

●JR
JR大和路線「郡山駅」から徒歩約15分

●バス
奈良交通バス法隆寺・西ノ京方面「やまと郡山城ホール」バス停から徒歩約5分

【郡山城跡の駐車場】

なし。近隣に有料の三の丸駐車場有り。
※大和郡山市は混雑緩和のため公共交通機関の利用を推奨しています。

郡山城跡について

郡山城は、天正8年(1580年)に筒井順慶によって本格的に整備された、大和国最大級の城郭です。のちには豊臣家をはじめ、水野家、松平家、本多家、柳澤家といった歴代大名の居城となり、大和の政治・軍事の要として重要な役割を担ってきました。

城郭は段階的に整備されましたが、豊臣秀吉の弟・秀長の時代にほぼ完成したとされています。さらに、増田長盛による外堀普請によって城の規模が定まり、内堀・中堀・外堀の三重の堀をめぐらせた「惣堀」の構えが築かれました。この堀の内側には、城の中心部だけでなく武家地や城下町までが計画的に配置され、近世城郭として完成度の高い構造を持っています。

現在、天守は残っていませんが、天守郭や毘沙門郭、法印郭など城の中枢部は奈良県指定史跡となっており、内堀や石垣も良好な状態で保存されています。近年には追手門や追手向櫓、東隅櫓などが復元され、往時の郡山城の姿を具体的に感じられるようになりました。一帯は「郡山城跡公園」として整備され、散策しながら歴史に触れられる場所となっています。2017年には「続日本100名城」にも選定されました。

また、郡山城は桜の名所としても知られています。堀沿いを中心に約600本のソメイヨシノなどが植えられ、「御殿桜」とも呼ばれてきました。春になると城跡全体が淡い桜色に包まれ、この時期に開催される「お城まつり」には多くの人が訪れます。1990年には「日本さくら名所100選」にも選ばれており、歴史と季節の風景が重なり合う、大和郡山を代表する名所です。

ここから「郡山城跡」のリポートがスタート!

豊臣秀長公ゆかりの地!【郡山城跡と大納言塚】の見どころ

 来年2026年のNHKの大河ドラマは「豊臣兄弟!」だ。ということで、奈良出張のついでに豊臣秀長公が居城にしていた郡山城跡に行ってきた。

近鉄の「近鉄郡山駅」で降りる。

駅を出たところに近隣の案内地図があった。

今回は郡山城跡とともに、秀長公の菩提寺である「春岳院」にも足を延ばしたいと思っていたが、この案内を見ると、秀長公の墓所である「大納言塚」も立ち寄れそうな場所にあることがわかった。

【城跡へ続く道】昭和レトロな商店街を抜けて

郡山駅を出ると、目の前に広がるのは郡山商店街である。どこか昭和の香りを色濃く残したこの商店街は、肩肘張らない日常の空気に満ちている。昔ながらの店構えや看板を眺めながら歩いていると、この町が長く人の暮らしとともに続いてきたことが自然と伝わってくる。来年、大河ドラマが始まれば、きっとこの通りも観光客でにぎわうのだろう。

商店街を抜け、近鉄線に沿って北へ歩を進める。郡山城跡の案内板に従い、道を左へ折れて踏切を渡ると、景色が少しずつ変わり始める。住宅や店舗の向こうに、城の存在を思わせるものが見えてきた。

踏切を越えた先、視界の奥に石垣が姿を現した。城下町から城郭へと足を踏み入れていく感覚がしてくる。

道端には「秀長さん ゆかりのまち」と書かれた幟がはためき、「豊臣兄弟!」の文字も目に入った。大河ドラマをきっかけに、この地が再び注目を集めようとしていることがうかがえる。

【鉄御門跡】伏見城の記憶を伝える、城郭の出入口

郡山城跡への入口として、まず足を踏み入れたのが鉄御門跡である。ここは三の丸から二の丸へと出入りするために設けられていた城門の跡で、城郭の防御上、重要な役割を担っていた場所だ。

この鉄御門は、元和5年(1619)、松平忠明が郡山城主として入城した際に、伏見城から移築されたものと伝えられている。豊臣政権の記憶を色濃く残す伏見城の部材がこの大和の地へと運ばれ、郡山城の一部となったそうだ。

現在、門そのものは残っていないが、当時の姿を今に伝える東側の櫓台石垣が静かに佇んでいる。積み上げられた石の一つひとつが、城主交代や時代の移り変わりを見つめてきた証のようにも思える。

歩き続けて表門跡を通過する。

【石碑】城主たちの興亡を刻む碑

「郡山城跡由来」が書かれた石碑があった。

一読すると、郡山城の初代城主は郡山衆で、2代目城主は筒井順慶となっている。順慶は、本能寺の変の2年前の1580年に、信長から郡山の豪族を平定したことにより大和国の支配を任されているが、秀吉と光秀が戦った山崎の戦いでは、どっちつかずの日和見の態度をしたことにより、秀吉から冷遇され、本能寺の変の2年後の1584年に36歳で病死したという。

その後の城主となったのが、豊臣秀長公だ。秀長は、豊臣政権において、軍事・政治に卓越した能力を発揮しつつも、決して兄より前に出ようとせず、補佐役に徹したといわれている。現代においては、天下人を支えた史上最強のナンバー2ともいわれている。兄秀吉の参謀役をしつつ、四国征伐、九州平定を果たし、大和国の政治経済を発展させ、多くの大名たちとの関係性のバランスをとった秀長を、2026年の大河ドラマではどう描くのか今から楽しみだ。

秀長の死後は、豊臣政権内でのバランスが崩れていく。秀長の死後、秀吉が強引に推し進めた朝鮮出兵から石田光成ら文治派と加藤清正・福島正則ら武闘派との内部分裂が天下分け目の大合戦に歴史は動いていく。

大河ドラマで秀長を思い出すのは、1981年の「おんな太閤記」の秀吉は西田敏行さんが演じ、秀長は中村雅俊さんが演じていた。1996年の「秀吉」では、秀吉を竹中直人さんが、秀長は高嶋政伸さんが演じていたのが記憶にある。

【柳澤神社】本丸跡に鎮座する、郡山藩繁栄の礎を祀る社

郡山城跡を巡る途中、柳澤神社の入口から境内へと足を踏み入れる。せっかくの機会なので、ここでも参拝をさせてもらうことにした。鳥居と社標碑が立つ場所は、かつて本丸と二の丸を結んでいた竹林橋のたもとにあたり、城内動線の要所であったことがうかがえる。

春になると、柳澤神社と城跡一帯は桜の名所として多くの人でにぎわうそうだ。毎年3月下旬から4月初めにかけて開催される「大和郡山お城まつり」では、境内に屋台が立ち並び、拝殿前には金魚が並べられるという。花見と歴史、そして城下町の記憶が重なり合う風景は、大和郡山らしさを象徴する光景のひとつと言えるだろう。

【手水舎】

参拝前に手水舎で手を清める。

【拝殿】本丸跡に息づく、城主ゆかりの祈りの場

柳澤神社は、大和郡山城の本丸跡に鎮座する神社で、旧郡山藩士らによって創建された。御祭神は、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉に重用された側用人、柳澤吉保である。吉保は柳澤家中興の祖とされ、卓越した政治的手腕によって幕政を支えた人物として知られている。

吉保の子である柳澤吉里は、甲府から十五万石をもって大和郡山へ入城し、初代郡山藩主となったという。以後、柳澤家は六代、およそ140年にわたりこの地を治め、城下町の整備と藩政の安定を通じて、大和郡山の繁栄を築いていったそうだ。

神社創建当初、社殿は現在の奈良県立郡山高校がある二の丸跡に建てられていたが、明治15年(1882年)に現在の本丸跡へと遷座されている。城の中心であった本丸に祀られていること自体が、柳澤家と郡山城との深い結びつきを物語っている。

拝殿の前に立つと、城主ゆかりの神社が本丸跡に祀られている意味の重さを自然と感じる。藩政の安定と城下町の発展を支えた柳澤家の歩みが、この場所に凝縮されているような気がする。

大和郡山が「金魚の町」として知られるようになった起源も、柳澤吉里が愛玩していた金魚をこの地に持ち込んだことにあると伝えられている。城と藩主、そして金魚文化が結びついている点も、この地ならではの興味深いエピソードだ。

参拝の後、御朱印をいただきに社務所へ向かう。

城下町と金魚文化を伝える一枚!柳澤神社の御朱印

柳澤神社の御朱印は社務所にて授与されている。受付時間は通常9時から16時ごろまでだが、「お城まつり」期間中など授与時間が延長されることもある。閉まっていることもあるので訪問前に問い合わせするのがおすすめ。

柳澤神社の御朱印は書置きのみで、初穂料は500円。

御朱印を手にした瞬間に目を引くのが、金銀が織り込まれた和紙の風合いだ。落ち着いた輝きの中に、さりげなく金魚の意匠があしらわれており、この地ならではの一枚に仕上がっている。

金魚といえば大和郡山市。ここは日本有数の金魚生産地として知られ、全国シェアの大部分を占める町である。毎年開催される「全国金魚すくい選手権大会」や、市内にある「金魚ミュージアム」など、金魚はまさに郡山市の象徴的存在なのだ。

柳澤神社の参拝におすすめ!金魚柄の御朱印帳

大和郡山市のシンボル「金魚」をあしらった愛らしい御朱印帳。柳澤神社への参拝をより雅やかで特別なものにしてくれます!

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【郡山城天守台展望施設】石垣の上から望む大和の風景

柳澤神社を参拝した後、郡山城天守台へと向かう。

現在は石段と手すりが整備されており、無理なく登ることができる。平山城とはいえ、天守台に近づくにつれ視界が開け、城の中枢に向かっていく実感が高まっていく。

郡山城の天守台は本丸北端部に位置し、上面で約16×18m、基底部では約23×25m、高さはおよそ8.5mらしい。南側には高さ約4.5mの付櫓台が付く「複合式天守」の構造で、豊臣政権期の城郭として本格的な天守が築かれていたことがうかがえる。

この天守台は、平成25年度(2013年)から4年をかけて、崩落の恐れがあった石垣の修復と展望施設の整備が行われたそうだ。その過程で実施された発掘調査により、天守の礎石列や金箔瓦が発見され、1階部分が7×8間の天守が存在した可能性を示す痕跡が確認されたという。そして平成29年(2017年)3月26日、「郡山城天守台展望施設」として一般公開が始まったらしい。

展望施設に立つと、その眺望の良さに思わず息をのむ。東側には若草山や東大寺大仏殿、興福寺五重塔、薬師寺、平城京跡まで見渡すことができ、西側には矢田丘陵をはじめ、明神山、二上山雄岳、葛城山、金剛山といった山並みが連なる。

築城から400年以上を経た今も、この場所が大和を一望する要衝であったことを実感させられる素晴らしい景色だ。

天守台から見下ろす石垣と堀の曲線は美しく、春には桜、秋には紅葉、早春には梅と、四季折々の表情を楽しませてくれるそうだ。

しばしその景色を眺めながら、郡山城が歩んできた長い歴史に思いを巡らせる時間は、ここを訪れた者だけに与えられる贅沢なひとときである。

下に降りて石垣を見る。石の形は整っていない。城を守るために集められた石のひとつひとつに、当時の切迫した築城事情や時代の空気が刻まれているように感じられる。

【転用石とさかさ地蔵】城を築くために集められた、石に刻まれた事情

天守台を眺めていると、石垣に使われている石がどこか不揃いであることに気づく。実はこの城では、石垣用の石が不足したため、墓石や石像、石臼、五輪塔など、本来別の用途で使われていた石材が数多く転用されている。これらは総称して「転用石」と呼ばれ、郡山城は転用石がふんだんに使われた城として知られている。

なかでも有名なのが「さかさ地蔵」である。石造地蔵菩薩立像が上下逆に積み込まれていることから、この名で呼ばれている。

天守台の裏手、北側の石垣に目を凝らすと、石組みの隙間に逆さまの状態で埋め込まれた石地蔵を確認することができる。

地蔵は左手に宝珠、右手に錫杖を持ち、仏身はおよそ90cm。大永3年(1523)癸未七月十八日の刻銘があり、城が築かれる以前から信仰の対象であったことがわかる。

郡山城の本格的な築城は天正13年(1585年)、豊臣秀長が入部し、大大名にふさわしい規模の城造りを進めたことに始まる。天正15年には紀州根来寺の大門を移して城門とし、春日神社の水谷川から大石を切り出して運び込んだとされている。しかし、それでも石材は足りず、翌年には奈良一円で五郎太石の採集が命じられ、寺院の庭石や礎石、五輪塔、石地蔵などまでもが接収されたという。天守台周辺の野面積みの石垣には、平城京羅城門の礎石と伝えられる石材をはじめ、石仏や石塔が惜しげもなく積み込まれている。

さかさ地蔵の周囲に並ぶ石仏の中には、路傍に忘れ去られていた野仏や、都市開発の工事で掘り出されたものを、誰とはなしにここへ運んだものも含まれているという。結果として、天守台やその周辺には、約1000基に及ぶ転用石が確認され、そのうちお地蔵様だけでもおよそ200基に達するとされている。

やや遠目で天守台の石垣を見ると、まずまず整っている。

平成26年(2014)から行われた石垣解体修理では、さらに大量の転用石が見つかったそうだ。天守台のわずか約13%という限定的な整備範囲だけでも約600石が確認され、通常は河原石などを用いるはずの裏込め部分にまで転用石が使われていたという。裏込めから見つかった石仏は58基に及び、全体のおよそ1割を占めていたそうだ。

転用石には信仰的、呪術的な意味が語られることもあるが、郡山城の場合は、主として石材不足を補うための措置であったと考えられている。城のある西ノ京丘陵周辺は、もともと良質な石が採れない地層で、近隣に明確な採石場も確認されていない。候補地はいずれも5〜10km圏内に限られ、日用品までもが石垣に使われていることから、石をかき集めることに必死だった当時の切迫した事情が、石垣そのものから伝わってくる。

郡山城の石垣は単なる防御施設ではなく、築城を急いだ時代の空気と、人々の暮らしや信仰までもが、無言のまま積み重ねられているのだ。

【極楽橋】約150年ぶりに復活した本丸へ渡る正橋

郡山城の本丸へ入る際の正式な橋とされてきたのが「極楽橋」だ。江戸時代に毘沙門曲輪(二の丸)と天守曲輪(本丸)を結んでいた木橋で、城の中枢へ向かう重要な動線を担っていたと考えられている。

創建時期は明確ではないものの、正保年間(17世紀中頃)の城絵図「和州郡山城絵図」には、本丸と二の丸の間に橋と櫓が描かれており、この時期にはすでに存在していたことがわかる。

平成30年(2018年)の発掘調査では、堀底から複数の礎石が見つかり、極楽橋が礎石建ちの橋として何度も架け替えられてきたことが確認された。これらの調査成果を踏まえ、公益財団法人「郡山城史跡・柳沢文庫保存会」によって再建事業が進められ2021年3月に完成を迎えた。

橋から堀を眺める

現在の極楽橋は、長さ約22m、幅約5.45mの高欄付き反り橋形式の木橋で、床板や橋脚にはヒノキなどが用いられている。

約150年ぶりに蘇った極楽橋は、城の記憶を現代に伝える象徴的な存在として、郡山城跡に新たな景観と物語を加えている。

柳澤家が城主となる以前は「玄関前橋」と呼ばれていたが、柳澤吉里の転封以降、「極楽橋」の名が定着したと考えられている。

【追手門】城主交代とともに名を変えた要所

追手門は、豊臣秀長が郡山城に入城した際に築かれたものと考えられている。城の正面入口として重要な役割を担っていたが、関ヶ原の戦い後には一度伏見城へ移されたと伝えられている。

その後、松平忠明が郡山城主となった際、追手門は再び郡山へ移築されたという。当時は「一庵丸門(いちあんまるもん)」と呼ばれたといい、この名は豊臣秀長・秀保に仕えた家老、横浜一庵(桑山一庵)に由来すると伝えられている。

さらに時代が下り、享保9年(1724年)、柳澤吉里が甲府城から郡山へ移封されると、この門は「梅林門」と呼ばれるようになったそうだ。城主の交代とともに門の呼び名が変わっていく点からも、郡山城が歩んできた歴史の重なりが見えてくる。

明治6年(1873)には、他の城郭建築と同様に取り壊されてしまったが、築城からおよそ400年を記念して昭和55年(1980年)に復元された。現在の追手門は、かつての城の正面を象徴する存在として、郡山城跡の景観に往時の面影を伝えている。

【城址会館(旧奈良県立図書館)】明治の記憶を今に伝える洋館

天守台の東側に歩を進めると、和風とも洋風とも言い切れない、独特の佇まいを見せる建物が目に入る。現在「城址会館」と呼ばれているこの建物は、かつて奈良公園に建っていた旧奈良県立図書館である。

この建物は、明治41年(1908)10月、日露戦争の戦捷記念として建てられたもの。奈良県立図書館として長く親しまれてきたが、奈良県の公園整備計画により取り壊しの方針が示された。そこで大和郡山市がこれを譲り受け、約3500万円を投じて昭和45年(1970年)に郡山城跡内へ移築、保存することになったそうだ。

木造二階建ての建物で、構造には三角形が強いという力学的特性を生かした木造トラス工法が用いられている。これは明治以降に導入された近代的な建築技術で、当時の先進性を感じさせる。和の城跡の中にありながら、どこか洋館の雰囲気を漂わせているのは、この構造と意匠によるものだろう。

城址会館は貴重な明治建築として高く評価されており、昭和59年(1984年)には市指定文化財に、平成9年(1997年)には県指定文化財に指定された。現在は休日を中心に一般公開されており、内部を見学することができる。

内部に入れるのは土日祝日のみ。この日は火曜日ということで、残念ながら中を見学することは叶わなかった。

大和大納言・秀長の居城を訪れた思い出に。郡山城の御城印

郡山城の御城印は、極楽橋のそばにある柳沢文庫で販売している。

柳沢文庫は、郡山藩主であった柳沢氏をはじめ、地域の歴史資料を保存・公開する施設で、昭和35年(1960)に郷土教育の発展を願う有志によって設立された。館舎は郡山城跡内に建つ施設で、落ち着いた佇まいの中で歴史に触れることができる。

館内には、柳沢吉保の一代記『楽只堂年録』をはじめ、郡山藩や甲府藩時代の藩政資料、古文書・典籍などが収蔵されている。また、自治体史や歴史・文学系の一般蔵書も公開され、企画展も随時開催されている。

スタンダードな御城印は300円。このほか梅の花や桜など季節に合わせた限定版の御城印や、金色の厚紙を使用し切り絵デザインが施された豪華な「大和大納言豊臣秀長居城郡山城」御城印もある。

御城印の文字は柳沢文庫が所蔵する史料『福寿堂年録』から取ったものを組み合わせているそうだ。

【春岳院】秀長公の菩提寺を訪ねる

郡山城跡を後にし、次は豊臣秀長公の菩提寺である春岳院へと歩を進める。城からは徒歩でおよそ10分ほどの距離である。

春岳院は、元々鎌倉中期に創建された東光寺を前身とする寺院で、秀長公の菩提寺となったことを機に、戒名にちなみ「春岳院」と改められたと伝わる。秀長公ゆかりの寺として、城下町の歴史を語るうえで欠かせない存在だ。

郡山城から10分くらい歩いて着いたが、門が閉まっていて中に入れない。

裏手に回ってみるが、あいにく本堂が現在工事中のようで、一般開放していないようだ。残念ながら入れない!

ネットで調べてみると、屋根や天井の傷み、雨漏り、床の老朽化などが進んでおり、2040年の秀長公450回忌を見据えて大規模な修繕計画が進められているとのことだった。大河ドラマ放送の影響で参拝者の増加が見込まれることから、改修は急務となり、2024年11月よりクラウドファンディングを開始。2025年に「令和の大改修」一期工事として、本堂修繕や庫裡の建て替え、玄関・トイレ整備などが進められる予定だという。

直接参拝は叶わなかったが、秀長公を大切に守り伝えようとする住職の尽力が伝わってくる。次に大和郡山を訪れる際には、修復を終えた春岳院に改めて足を運びたいと思わせる場所であった。

【本家菊屋】秀長公ゆかり、城下に息づく老舗菓子舗

引き続き、秀長公の墓所である「大納言塚」へ足を延ばす。

歩いていると、ひときわ歴史を感じさせる佇まいの和菓子舗が目に入った。年季の入った看板には「本家菊屋」とある。多くの人たちでにぎわっていた。

この店の創業はおよそ400年前。豊臣秀長公に仕えた初代・菊屋治兵衛が、大和郡山の地に移り住んだのは天正13年(1585)のことだという。秀長公に伴われ、兄・豊臣秀吉をもてなす茶会のために「珍しい菓子を作るように」と命じられた店主が考案したのが、粒餡を餅で包み、きな粉をまぶしたひとくち大の餅菓子だったそうだ。これを口にした秀吉は大層気に入り、「鶯餅」の銘を与えたと伝わる。砂糖が貴重であった時代背景を考えると、この菓子が各地に広まった鶯餅の原型であるという説にも、うなずけるものがある。

やがて時代が下り、店が城の大門を出てすぐ、町人街の入口に位置していたことから、「城の入り口で売られる餅」すなわち「御城之口餅(しろのくちもち)」と呼ばれるようになったのだとか。この名は現在も名物として受け継がれている。

現在の建物は、嘉永7年(1854年)の大地震で倒壊した後、翌1855年に再建されたものだという。店の開け閉めの所作や、天井、間取りに至るまで、往時の姿を色濃く残しており、店内に足を踏み入れるだけで城下町の時間に引き戻される感覚を覚える。城跡巡りの合間に立ち寄り、歴史に思いを馳せながら一服するには、これ以上ない場所だ。

《本家菊屋の基本情報》

【本家菊屋の所在地】

〒639-1134 奈良県大和郡山市柳1丁目11

GoogleMap >

【本家菊屋の電話番号】

0743-52-0035

【本家菊屋の営業情報】

営業時間:9時~18時30分(1月2日・3日は9時〜17時) 
定休日:元日のみ

【大納言塚】秀長公ゆかりの地で静かに手を合わせる

春岳院を後にしてからおよそ30分ほどで「大納言塚」に到着した。ここにも「秀長さん ゆかりのまち」と書かれた幟が点々と立てられていた。

大納言塚は、白塀にぐるりと囲まれたこぢんまりとした敷地にある。観光地というよりも、今もなお大切に守られてきた墓所という空気感を強く感じる。

入口の手前には「お願いの砂箱」が置かれていた。ここでは、自分の名前と願い事を心の中で唱えながら、三度砂を通すと願いが叶うと伝えられている。素朴で、どこか人のぬくもりを感じさせる風習だ。

一礼して門をくぐり、中へ入る。正面に立つのが、豊臣秀長の五輪塔である。秀長は豊臣秀吉の異父弟にあたり、最終官位が「大納言」であったことから、この墓所は「大納言塚」と呼ばれている。

秀長は天正13年(1585年)、和泉・紀伊・大和の三国百萬石を領して郡山城主となり、城下では商業を保護し、町人自治を重んじる「箱本制度」を整えた人物と言われている。兄・秀吉を前に押し立て、自らは決して表に出過ぎることなく、政治と軍事の両面で豊臣政権を支え続けた。その姿から、後世「学問の智将」とも称されている。

天正19年(1591年)、秀長は郡山城内でこの世を去りこの場所に葬られた。当初は秀吉が建立した菩提寺・大光院が墓所を守っていたが、豊臣家滅亡後、大光院は京都へ移され、位牌は東光寺(のちの春岳院)に託される。墓所は一時荒れてしまったが、安永六年(1777)、春岳院の僧・栄隆と訓祥、そして町の人々の尽力によって、現在の五輪塔と土塀が整えられた。

五輪塔は高さ約二メートル。地輪の正面には秀長の戒名が、背面には建立に関わった訓祥と郡山町中の名が刻まれている。派手さはないが、長い年月を経てもなお、人々の手によって守られてきたことが伝わってくる佇まいだ。

石塔の前に立ち、静かに手を合わせる。城下町の礎を築き、歴史の大きな流れの中で重要な役割を果たした人物が、今はこの静かな場所に眠っている。その事実を噛みしめながら祈る時間は、郡山城跡を散策した一日の締めくくりに、ふさわしいひとときであった。

大和郡山市に行くならこれ!ぴったりな金魚柄の御朱印帳!

今回のリポートはいかがだったでしょうか。
秀長公ゆかりの地をたどりながら歴史に思いを巡らせる一日となりました。

そんな大和郡山市散策のお供として、今回持参したのが「金魚柄の御朱印帳」です。大和郡山市といえば、全国有数の金魚の町。街を歩いていると、マンホールやモニュメント、案内板など、あちこちで金魚のモチーフに出会います。郡山城跡や城下町をめぐる旅には、これほど相性の良い柄はないのではないでしょうか。

表紙にあしらわれた愛らしい金魚の意匠は、歴史散策の合間にふと手元を見るたび、気持ちをやわらかくほぐしてくれます。重厚な城跡や史跡を巡る旅だからこそ、どこか親しみのあるデザインが心地よく映るのかもしれません。御朱印帳を片手に、街の中に隠れた金魚モチーフを探して歩くのも、郡山ならではの楽しみ方のひとつでしょう。

落ち着いた色合いと丁寧な仕立てで、御朱印を書いていただきやすいのも嬉しいポイント。旅の記録としてはもちろん、郡山での思い出を重ねていく一冊として、長く付き合っていける御朱印帳です。

郡山城跡をはじめ、大和郡山市の史跡や寺社を巡る際には、ぜひこの金魚柄の御朱印帳をお供にしてみてはいかがでしょうか。城と城下町、そして金魚の文化が結びついたこの町歩きが、より印象深いものになるはずですよ!

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ステキな御朱印帳を片手に、楽しい御朱印集めに出かけましょう!

神社やお寺に行くたびに、その雰囲気や歴史に触れるのってワクワクしませんか?そんな旅の思い出をカタチに残せるのが御朱印です!力強い筆文字や、神社ごとに異なる印影など、御朱印の1つ1つには訪れた場所の個性やストーリーがギュッと詰め込まれています。そして、御朱印帳をパラっと開けば、訪れた際の風景や空気感が一瞬で蘇ります!

御朱印はただの記念スタンプではありません。その神社やお寺とのご縁を結ぶ大切な証。そして何より、御朱印は集める楽しさがどんどん増していくアイテムです!さらに、自分がお気に入りのデザインの御朱印帳を選べば、気分もよりアップすること間違いなし♪ 1冊、また1冊と増えていくたびに、自分だけのコレクションが増えていくのも嬉しいポイントです!

せっかく神社やお寺を巡るなら、お気に入りの御朱印帳を片手に、楽しく御朱印集めを始めてみませんか?

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さらに!さらに!!

日宝では、神社仏閣様やデザイン会社様など向けに、オリジナル御朱印帳の製作サービスを承っております!デザインのご要望はもちろん、表紙素材や製本仕様に至るまで、製本会社ならではの知識とクオリティでご提案いたします。

「こんな御朱印帳を作ってみたい」「まだイメージが固まっていないけれど相談してみたい」
そんな段階でも構いません。どんなご希望でも丁寧にヒアリングし、企画から製作まで一緒に形にしてまいります。

まずはお気軽にお問い合わせください。

詳しくは下記のページをクリック♫

オリジナル御朱印帳製作ページ >

日宝綜合製本株式会社

岡山県岡山市中区今在家197-1(各所在地を見る)

TEL:086-275-7863

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